防潮ゲート
以前、防災上重要なインフラである消火栓のことをご紹介しましたが、今回は主として高潮対策に使用される「防潮ゲート」です。
高潮災害といえば、最近では1999年9月24日台風18号のとき、満潮時と重なって熊本県不知火町松合地区の12名が亡くなられた例にも見られるように、瞬時に甚大な被害を及ぼす現象です。1959年9月26日伊勢湾台風では4,697名もがなくなられています。
高潮の発生原因は二つあります。その一つは、台風など低気圧のため海面への圧力が低下し、吸い上げられるような現象が起こることによります。気圧が1hPa低下すると海面が約1p上昇します。もう一つは、波が繰り返し押し寄せて海水が海岸に吹き寄せられることによって起こることです。このような現象に満潮が重なると、先のような大惨事が発生します。
いずれも警報による早い避難が重要ですが、今回ご紹介するようなインフラもその被害防止に役立てるためのものです。
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写真1 交差点(1) |
写真2 交差点(2) |
頭上にモノレールが通り、鉄道の高架橋がある大きな交差点をみると、海岸と平行に溝があり(今はふたがしてある)、中央分離帯に写真3のような構造物があります。
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| 写真3 交差点中央の構造物 | 写真4 銘板 |
写真4の銘板には「中央地区横引門扉」とあります。高さが1.3m、純径間が18.5mと25.5mの門扉です。開閉時間は約8分と記されています。開閉は、自動式ではないようです。
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| 写真5 ゲート(1) | 写真6 ゲート(2) |
左右を見てみると、写真5、6 のようなゲートが格納されています。高潮警報が発せられると、これが両方から閉まり、写真3、4のところの切れ込みに入って止まるような仕掛けになっています。
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| 写真7 ゲート(3) | 写真8 警告板 |
写真7は、写真3のゲートを後方から撮ったものです。すぐ近くには写真8のような警告板があります。
この地点は、道路のためこうしたゲートが設けられていますが、その延長上には、防潮堤が連続しているのは当然です。
このゲートができた昭和47年(1972年)には、このあたりはすぐ海であったのですが、現在では、ここから30分ぐらい歩かないと海(写真2の右方向)が見えてきません。大規模な埋め立てで新しい陸地ができています。その全貌は、この交差点をまっすぐ行った海岸近くにある写真9のタワーに上ると見えます(この日は残念ながら上りませんでした)。巨大なマンションまで建っていますが、右側の水面が東京湾です。
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| 写真9 千葉ポートタワー |
東京湾での高潮被害は、大正6年(1917年)10月1日、死者1,127名(冒頭の死者数を含め、出典は、国土交通省「高潮防災対策パンフレット「高潮災害とその対策」」による)
を出して以来大きなものは発生していないようですが、浦安市のホームページによれば、このときのことが大略次のように記されています。
【大正6年9月24日、フィリピン群島洋上に発生した台風は同月30日の夜半に当時の観測史上でもまれな超低気圧となって関東を襲いました。しかも、この日は年間を通して最も平均潮位の高い旧暦十五夜の満月にあたっていたため、発生した高潮は一瞬のうちに浦安を襲い、瞬く間に町内一帯は浸水。(中略)この高潮により、浦安を含む東葛地区が被った被害は死者44人、行方不明1人、負傷者115人という深刻なもの。さらに、建物の被害は流出305、倒壊・破損2155棟を数え、3kmにわたって決壊した浦安の堤防の修復には3カ月近くを要しました。】
この災害により、行徳塩田は壊滅的被害を受け、その後の衰退の直接のきっかけとなったといわれています。