番外編(記念切符 1) 

各駅停車で発車する前に、古い記念切符を記録しておきましょう。

常総線について、平成22年2月22日から4月18日まで行われた「取手の鉄道交通」という「取手市埋蔵文化財センター第27回企画展」のパンフレットには次のように書かれています。

【9.非電化私鉄の雄 一関東鉄遭の成立と発展一

昭和19年(1944)3月27日、龍ケ崎鉄道は鉄道事業を鹿島参宮鉄道に議渡することを認可されました。龍ケ崎鉄道は、同年5月13日に施設・設備を鹿島参宮鉄道に売却し、6月27臼に会社解散となりました。昭和20年3月20日には、常総鉄道は筑波鉄道と合併して常総筑波鉄道となりました。
昭和32年、常総筑波鉄道は新形気動車キハ48000形2両を導入し、7月1日から特急「しもだて」号の運転を開始しました。これまで下館から水戸線で小山に出て東北本線で東京に向かっていた乗客を、常総線で取手に出て、常磐線で東京に運ぼうとしたのです。特急「しもだて」号には女性の客室アテンダントが乗車して、湯茶やたぱこのサービスを行ない、乗客には好評でした。次いで、停車駅がやや多い急行「鬼怒風」号も運転されました。

一方昭和30年代後半から40年代にかけて高度経済成長期に入ると、水海道以南では沿線の宅地開発が進み、東京への通勤客が増加してきました。昭和40年6月1日、常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併して、非電化ながら4つの鉄道路線と、茨城県南一帯にバス路連網を有する関東鉄道株式会社が成立しました。自社発注の新製車に加え、営業廃止や動力変更した全国の私鉄、さらには国鉄からの譲渡車で構成される多彩な車両群は、増大する乗客へ対応するとともに、多くの鉄道ファンを魅了して、関東鉄道は非電化私鉄の雄と呼ばれました。

さて昭和43年4月1日には新取手駅が、昭和50年3月26日には戸頭駅が、ニュータウンの最寄り駅として開業しました。さらに乗客の大幅な増加から、水海道以南では複線化の必要に迫られました。昭和52年4月には取手・寺原間、昭和57年12月には寺原・南守谷間、昭和58年5月には南守谷・新守谷間が複線化され、昭和59年11月15日の新守谷・水海道間の複線化により、取手・水海道問が全線複線化されました。この間の昭和54年12月1日には、関鉄ニュータウンの墨寄り駅として西取手駅が開業しています。(12ページ)】

昭和59年(1984年)11月15日、関東鉄道は取手・水海道間複線完成記念として記念切符を発行しています。前回写真1の1年後です。(以下筆者蔵の記念切符画像)

取手・水海道間複線完成記念切符の袋
画像1 取手・水海道間複線完成記念切符袋(左表面、右裏面。縦13.5センチ横9.9センチ)

画像1は、記念切符の入っていた袋の表裏です。中に入っている3枚の切符の画像は下の画像2です。

 取手・水海道間複線完成記念切符(3枚。上下に表面と裏面。縦13.5センチ横9.9センチ)
 画像2 取手・水海道間複線完成記念切符(3枚。上下に表面と裏面。縦13.5センチ横9.9センチ)

表面下の写真に「ここからはがしてください」とありますが、私ははがしていないので切符面はわかりません。

昭和63年9月21日、取手駅ビルが完成しました。このときも記念切符が発行されました。画像3です。(切符面の斜線は筆者が挿入)

取手駅橋上化・取手駅ビル開業記念乗車券(3枚。左表面、右裏面幅15センチ、6.5センチ)
画像3 取手駅橋上化・取手駅ビル開業記念乗車券(3枚。左表面、右裏面幅15センチ、6.5センチ)

このときのビルが、現在に続いています。なんだか、「非電化私鉄の雄」の往年を思い出しますね。

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