鈴塚と愛宕神社

将門の伝説は、地名の由来としても多く残っています。
守谷市には、将門城址があるせいか、もっと多くの将門由来の地名などがありそうですが、意外に多くはありません。
いつもお世話になる「将門傳説」(梶原正昭・矢代和夫 1975年新読書社)や、「平将門伝説」(村上春樹 2001年汲古書院)などによる伝説地のうち、今回は2ヶ所を巡ってみました。

常総ふれあい道路に「鈴塚」という信号(写真1)があります。その交差点から南に入ったすぐのところに、「馬頭観世音」の碑と道標(写真2)があります。

写真1 鈴塚信号

写真2 石碑と道標

このあたりは、明治14年測量地図によると「鈴塚村」といい、妙見社などが見えます。先の「将門傳説」によれば、【承平年中、将門の乱に当り藤原純友がこの地に大鈴を埋め、軍神を祀りしところと伝う。(『茨城県市町村総覧』)】とあります。

写真3 道標

写真4 小道

道標(写真3、背の低い方)の側面には、「大野村に至る」とあり、その上部に、向かって左を向いた矢印が彫ってあります。また「昭和六年九月」ということも分かります。
「大野村」という地名は、明治14年測量地図にはありません。明治22年の大柏村と野木崎村の合併によって新たに出来た村であることが、「守谷町史」389ページに出ていました。またこのとき、鈴塚村も高野村、乙子村と合併し高野村となったといいます。こうして消えた村の名ですが、今に字名として残っているのです。
ここから、ふれあい道路と並行して舗装されていない小さな道があります(写真4。この方向が矢印の指している方向)。先の地図ではよく分かりませんが、これでも昭和初期当時は、道標のできるような主要道路であったのでしょう。

すこし離れますが、今回はもう一か所、愛宕神社を訪ねます。

写真5 愛宕中学校

写真6 愛宕神社

写真5の愛宕中学校は、こちらでも紹介していますが1983年4月1日開校しています。その正門に入る通りの一つ東側の通りから愛宕神社を見たのが写真6です。この愛宕神社は、市の公式ページでも紹介されているように青銅製鰐口があることで知られています。

写真7 神社正面

写真8 神社側面

写真7、8でおわかりのように、なかなか立派な神社です。拝殿とその奥に本殿がある形式です。
ここは、前掲「将門傳説」に【平将門が京の愛宕社に擬して創立せしものという。(『北相馬郡志』)】とあります。京の愛宕社とは、全国約900社の愛宕神社の総本社である、旧称阿多古神社のことであると思います。この神社は先の明治14年地図にもその名称があります。
写真7の右手の大きな石碑には、「御遷宮記念碑 昭和五十七年三月吉日」とありますから、このころ建て替えられたと思われます。

なお、同書によれば、水戸の愛宕神社は【天慶元年に、常陸大掾平国香が京都の愛宕山から勧請せしもの。】とあります。将門と同じ平一族のことです。このほか各地の愛宕神社に関する平一族との因縁話は、「平将門伝説」にもいろいろ紹介されています。

 

 

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