愛宕山古墳と愛宕神社

平将門の伝説をめぐる旅で何度も引用させていただいている、「将門傳説-民衆の心に生きる英雄-」(梶原正昭・矢代和夫、新読書社、1975年)に、「将門伝説分布」というページがあります。その茨城県の部の最初(319ページ)に以下のようにあります。

【◇愛宕神社 水戸市愛宕山頂
天慶元年に、常陸大掾平国香が京都の愛宕山から勧請せしもの。はじめ府中に置かれしも、のち長和三年大掾貞幹この地に移すという。(茨城県市町村総覧)】

平国香といえばご存じのように、承平5年(935年)に将門と戦って戦死した人です。川尻秋生先生の「戦争の日本史4 平将門の乱」(2007年 吉川弘文館)52ページに、「和漢合図抜粋」からとして【承平五年二月二日、常州石田館において、常陸大掾平国香、相馬小次郎将門と合戦す。時に国香討たれ畢(おわり)ぬ。】とあります。後々将門との因縁浅からぬ平貞盛の父です。

ということで、不思議なことに気がつきました。上記引用文の「天慶元年」は938年ですから、承平5年、935年に戦死した人が神社を勧請することは出来ません、普通。話がおかしくなりましたので、水戸に行ってきました。

愛宕山古墳 愛宕神社鳥居

写真1 愛宕山古墳

写真2 愛宕神社鳥居

先の引用には「愛宕山」とありますが、実はこの山は古墳で、茨城県下最大の前方後円墳です。また、国指定文化財でもあります。リンク先の航空写真でもおわかりのように、周囲はすっかり住宅に囲まれていて、乗用車での通行も、慣れていないと危ういような環境です。
愛宕神社二の鳥居

写真3 愛宕神社二の鳥居 

写真4 愛宕神社

仮に二の鳥居と呼んだ写真3の鳥居は、ごらんのようにかなり痛んでいます。くぐり抜けて階段を上がると、古墳後円部の山頂に愛宕神社が鎮座しています。

本殿 前方部を見る

写真5 本殿

写真6 前方部を見る

お参りしてぐるっと回ってみました。写真6は、写真4の階段上から振り返った眺めです。前方部に向かうくびれ部分です。

前方部より後円部を見る

写真7 前方部より後円部を見る

写真7は前方部端から後円部を眺めたものです。右側に見える鳥居は「天満宮」のものです。「天満宮」は写真から出てしまっていますが。

この写真の手前にも階段と鳥居がありましたので、そちらに降りてみました。

「史跡」碑 茨城百景碑

写真8 「史跡」碑

写真9 茨城百景

途中には写真8のような小さな碑(「史跡愛宕山古墳」)と、反対側には茨城百景「愛宕山とさらし井」の碑がありました(写真9)。

愛宕山古墳遠景 馬塚古墳

写真10 愛宕山古墳遠景

写真11 馬塚古墳

前方部にある階段を下りるとこちらにも鳥居があります。しばらく歩いてから振り返ったのが写真10の光景です。右側の柵は、「茨城県水戸生涯学習センター」です。中をのぞいてみると、写真11の様なこれも古墳がありました。説明では、愛宕山古墳群の一つ「馬塚古墳」と言うのだそうです。古墳群とは言っても、現存するのは愛宕山とこれの二基だけだそうです。

愛宕山古墳群全景

写真12 愛宕山古墳群全景

と言うわけで、写真12は愛宕山古墳群の全景になると言うことです。

最初の疑問(というか矛盾)は解けませんでした。おそらく、935年国香戦死が史実で、938年勧請は伝説なのでしょう。

それにしても、愛宕神社というのはずいぶんあるものです。本連載の中でも、既に何度も登場しています。こちらのページによれば日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社あるのだそうです。

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