千葉県の将門

 常総といっておきながら茨城県ばかりでは片手落ちの感がしますので、今回は利根川をわたって千葉県手賀沼のほとりをご紹介します。
 この地は、私が将門の旅を始めた頃最初に訪れたところです。新しく撮影をとも思いましたが、
20年前の写真をそのまま載せることにしました。

 この写真は1979年のものですから、今は景観が変わっているかもしれません。バス停の地名、右側の看板の地名を見てください。「岩井」とあります。ここは昔の表示で東葛飾郡手賀村岩井なのです。今は沼南町となっています。この辺りから印旛沼周辺佐倉市(長嶋監督の出身地です)には将門ゆかりといわれる史蹟が多くあり、この「将門大明神・延命地蔵尊」もそのひとつです。将門の三女、如蔵尼が父将門をしのんで建立したという言い伝え(現地に立つ「社寺總代敬白」とある「地蔵尊由来」の看板によります。なお、「安孫子市史 民俗・文化財編」619頁にも同様の記述があります。ところが・…後述)も何か他と共通するものがあります。
 下の写真でおわかりのとおり、なかなか立派な建築物で、元和
2年(1616年)の岩井村大火災に焼け残り、安永3年(1774年)再建、嘉永2年(1849年)修復の後昭和53年(1978年)再修復とありますから、新しいのはそのためです。

 ところが、梶原正昭・矢代和夫「将門伝説」によれば

『◇如春尼の地蔵 東葛飾郡手賀村岩井   将門の次女春姫、父の滅亡後この地に隠れ住み、名を如春尼と改め一族の菩提を弔うという。いま将門神社の境内に、如春尼の護持せし地蔵尊をまつる地蔵堂を存す。(千葉県東葛飾郡誌)』とあり、微妙に前掲内容と違います。まあ、古い話しですから、どこかで入れ違ったのでしょう。

この写真も「将門神社」です。手賀沼を南に望む台地上、千葉県我孫子市日秀(ひびり)にあります。
 衆議院議員であって将門研究でも有名であった、故赤城宗徳氏によれば、この地は将門が子供時代を過ごした地と思われる、としています。
 また、前掲「安孫子市史」によれば、「ひびり」という特徴のある地名は将門が日の出を拝したところから、「日出(ひいで)」→「日秀(ひひで)」→「日秀(ひびり)」になったのであろうとも、将門の遺臣、日出弾上がこの地に隠棲したのがおこりであろうという説もあるそうです。
現在の社殿は昭和
30年(1955年)に石造りとされたのですが、創立年代は明らかではありません。            

 しかし、ここからすぐのところに将門が承平2年(932年)に軍用として掘ったといわれる井戸があったり(上の写真)、この地の人は将門調伏の祈願が行われた成田山にはお参りしないなどの言い伝えがあったり、他の将門ゆかりの地と同じような習俗があることは、その創建の旧さを物語っているようです。

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