徳怡山長龍寺(茨城県守谷市)

平将門の伝説をめぐる旅では、「灯台下暗し」と言いますか、地元にあるものもまだすべては訪ねていません。
そこで今回は、このサイトもう一つの訪問記である「守谷の風景」と連動させて、「守谷八景」の一つである徳怡山長龍寺(とくいざんちょうりゅうじ)を訪問します。

「関東中心平将門伝説の旅(茨城)」(昭和62年 稲葉嶽男著)に【徳怡山と号し、もと真言宗だったが、天文二年(一五三三)堂宇の再建と共に禅宗に改めた。将門創建の寺といわれている。】とある(私の虎の巻「将門傳説」(梶原正昭・矢代和夫)にも当然ありますが、簡単なので今回引用は稲葉氏紹介文によります)。さらに【天慶の頃、将門が誅に伏したときの和尚は、ひそかに将門のために法要を行って、こっそり「長竜寺殿怡廉参大禅定門」の法名を贈った。後世となって公の許すところとなり位牌として安置することになった。】とあって、その位牌が伝わっていると「将門傳説」にはあります。

国道294号TX守谷駅前(中央森が長龍寺) 参道入り口

写真1 国道294号TX守谷駅前

写真2 参道入り口

つくばエクスプレス(TX)守谷駅前の国道294号線が写真1ですが、その中央の森が長龍寺です。よく見ると国道に沿って石塀と東門があります。この写真はTX高架橋と並行している横断歩道橋上からのものですが、ここを写真左手に向かって歩道橋を降り、少し進むと写真2の山門があります。こちらが正面です。
参道正面 守谷八景の碑

写真3 参道正面 

写真4 守谷八景の碑

この長龍寺は、今では将門ゆかりというよりも、「徳川家康寄進状」や「近世文書」で取り上げられていますが、本欄の趣旨には必ずしも一致しないので省略します。詳しくは守谷市のこちら(守谷の文化財「古文書」のページ)をご覧ください。
また、「守谷八景」については、この連載の掲載されているサイトの別のところに「守谷の風景」というこれまた連載を載せていますので、そちらのこの回をご覧ください。(近日中に残りの「守谷八景」を掲載します。

山門(表側) 山門(内部側)

写真5 山門(表側)

写真6 山門(内部側)

写真5が山門です。ここには写真6でかすかに両側に見えるよう(かすかに見えるのは、私の写真の撮影の仕方がうまくないためで、そのほかの何物でもありません。念のため)四天王がおられるのですが、これも時代がかなり違うので省略(失礼)します。

本堂 長龍寺扁額

写真7 本堂

写真8 長龍寺扁額

本堂(写真7)が見えます。かなり立派なものです。今ふと思ったのです。写真8のような扁額は横書きが多いように思っていましたが、縦書きもあるのでしょうか。あるでしょうね。

記念碑と九曜星 鐘楼

写真9 記念碑と九曜星

写真10 鐘楼

本殿の前には写真9のような記念碑と、なんというのか不勉強で分かりませんが黒い置物がありました。
記念碑には【長龍寺本堂 落慶法要】とあり、昭和57年4月2日と日付があります。27年前です。
黒い置物には、平将門でおなじみ九曜星が入っています。九曜星については、この回で比較的詳しく書きましたので、ここでは省略します。
また、「守谷八景」の第一が「長龍寺の晩鐘」というようですから、鐘楼の様子(写真10)もご紹介しておきます。

写真11 石造物

境内には古い石造物がたくさんありそうです。その一部です(写真11)。今回は、参道を本堂まで行って戻っただけですが、境内は写真1でお分かりのように、かなり広いので、もし入ることができれば面白かったかもしれません。

ちなみに、「平将門故蹟考」(織田完之著 影印版昭和48年 崙書房)によれば、将門の位牌は海禅寺にもあり、「春渓院浄心大禅定門」というのだそうです。こちらで訪問した時はうかつにもこの本を確かめなかったので、位牌の文字が違っています。

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