大鹿山長禅寺(取手市)

何回かに分けて取手市を歩きましたが、今回は市の中心部にある将門由来の「長禅寺」です。

取手駅(写真1)を出て向かって右側道路沿いにあるビル群の裏に回ると、台地をぐるっと取り囲んで商店があります。中には、昔懐かしい駄菓子屋の現代版もあります(写真2)。

写真1 JR常磐線取手駅東口

写真2 駄菓子屋

この道を右手の方に歩くとすぐ、写真3 のような風景に出合います。 小公園になっています。

写真3 大師公園

写真4 長禅寺案内

長禅寺という案内版が見えます(写真4)。後ろの石碑には(写真ではみにくいですが)、「茨城百景」とあります。

ここに、急な階段があります。見上げると長禅寺の山門です。「大鹿山」と読むのでしょう。

写真5 長い階段

写真6 山門(表)

境内はうっそうと樹木が茂っています。7人のお地蔵さんが並んでいます。六地蔵というのはありますが、7人となると何となく将門を思い浮かべてしまいます。関係はないのでしょうが。

写真7 山門(裏)

写真8 山門脇のお地蔵さん

本堂です(写真9)。屋根には、将門の九曜星がありました(写真10)。

写真9 本堂

写真10 屋根の紋 

「長禅寺略記(平成13年)」という案内版がありましたので、次に引用します。

【長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派の古刹で、京都の妙心寺の末寺です。本尊は延命地蔵尊です。
縁起によれば、朱雀天皇の代の承平元年(九三一)に、平将門が勅願所として創建したと伝えられます。将門没後は「御厨三郎吉秀」という人物が、密かに本尊を守り伝えてきたものの荒廃が甚だしかったと言われています。承久元年(一二一九)には義門和尚を開祖として再興が計られ、また「吉秀二十九代後胤織部時平」は、文暦元年(一二三四)に将門の守本尊で安阿弥(快慶)の作と伝えられる十一面観音像を安置するために「四間四面御堂」を建立するとともに、寺の再興を計ったとも伝えられています。
創建当時は旧大鹿村(現在の白山地区、取手競輪場近く)にありましたが、江戸時代初めに水戸街道が整備されて取手宿が形成されると現在地へ移転しました。慶安二年(一六四九)に三代将軍徳川家光から朱印地五石三斗を賜って以来、代々の徳川将軍から朱印地を賜っています(後半引用は後段で)】

いろいろな本を読んでも、これ以上のことはわかりません。いずれにしても、この地方に多い、将門開基伝説を持ったお寺です。

境内には、このほかの建物もあります。
(引用開始)【また長禅寺は、観覚光音禅師が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所(現在の取手市・我孫子市・柏市にまたがる札所)の発願・結願寺でもあります。(後略)】
と、あるように、大師堂もいくつかあります。

写真11 大師堂1

写真12 大師堂2

もう一つ、当寺の境内には珍しい建物があります。ここは説明文章の引用をやめ、小さくては読めないので別画像にします。こちらをご覧ください。

写真13 茨城県指定文化財 長禅寺三世堂

階段を降りてまっすぐの道は、大師通りと名づけられています(写真14)。新六漬けで有名なお店の角を左に曲がると、本陣通り(写真15)です。先に訪問しましたが、今回ものぞいてみました。

写真14 大師通り(正面が長禅寺、左が新六本店)

写真15 本陣通り

取手宿本陣です(写真16)。時々再訪するのも面白いものです。

写真16 取手宿本陣

 

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