取手市 藤代宿と相馬神社

茨城県北相馬郡藤代町は、2005年取手市と合併して取手市藤代となりました。2011年夏の高校野球では、県立藤代高校が茨城県代表として甲子園に出場しています。

旧藤代町という地名は、水戸街道(陸前浜街道)藤代宿からとられたもので、隣の宮和田宿(現取手市宮和田)と交互に本陣の機能を持っていたということです。

リンク先の写真は水戸街道(陸前浜街道)を取手宿の方から藤代宿の方を見たものです。このまっすぐな道を行くと、常磐線を斜めに横断するところがあります。写真1は、その踏切を渡って取手方を振り返ったところです。手前の道路は国道6号線です。この国道を横断すると、まだまっすぐな道(写真2)が続いています。右手奥の四角い建物が取手市藤代庁舎です。

常磐線踏切と国道6号線交差点

本街道

写真1 常磐線踏切と国道6号線交差点

写真2 本街道

このあたりには、似たような風景の「中通り」「椚木通り」「大廻り道」が他にあって、それぞれ取手から藤代の本陣に通じていたと言います(「藤代町史通史編」平成2年藤代町史編さん委員会。192ページ第4図水戸街道及び廻り道)。今回は本街道だけを行きます。

なぜこのような廻り道があったのか。【正式の道筋は低地を通っており、大雨が降れば出水によって通行がままならず、高地の道を迂回する必要がありました。】このあたりには高地と言うほど高い地域はないように思うんですが「あびこ版水戸土浦道中絵図」(我孫子市史叢書 昭和63年 我孫子市教育委員会)44ページにはそうあります。 

少し行くと、なにやら行き止まりのような風景があります(写真3)。家並みも歴史を感じさせます。ブルーシートは、2011年3月11日の地震で、屋根瓦が被害に遭った箇所のようです(撮影は7月末)。ほぼ直角に右に曲がって振り返ったのが写真4です。この角には神社があります。ここからが藤代宿のようです。この神社は「相馬神社」といいます。

藤代宿入り口

相馬神社

写真3 藤代宿入り口

写真4 相馬神社

本欄は、平将門を中心にしていますので、「相馬」と聞くと追いかけずにはおれません。戻って神社を見ていきます。

写真5は、神社正面です。写真6は神社名の入った額です。かなり新しいものです。写真5の向かって右手に文化財の説明がありますので読んで見ます。

【相馬神社本殿 旧藤代町指定文化財(建造物) 昭和四八年一一月指定(平成一七年三月合併時指定解除) 平成九年一一月 取手市教育委員会】こうしたものの書き方のルールを知りませんので、これだけでは果たして「指定文化財」であるのか無いのかよく解りません。そこで取手市のホームページを見ると「相馬神社奥院」が指定文化財になっているとあります。
続きです。
【建立は極めて古く元享元年(一三二二)六月といわれ、安政二年(一八五五)火災焼失、慶応三年(一八六七)に再建される。社殿の材質は総けやき造り、屋根は銅板葺(どうばんぶき)流れ造り、向拝柱(こうはいばしら)に見事な竜の彫刻があり、大床下(おおゆかした)や三方の壁面脇障子全体が豊麗な彫刻で飾られている。社殿全体の豪華さは、町内にある社殿の中でも群を抜いている。明治四十年八坂神社・富士神社を合祀して相馬神社と称した。元八坂神社は、藤代・宮和田両宿の総鎮守(そうちんじゅ)であった。】

先の「藤代町史通史編」にはもう少し詳しく

【この神社は八坂神社と称していたが、明治四十一年五月六日に相馬神社に社号を変更した。どのような理由で相馬神社に変更したものなのか。この神社は相馬神社と社号を改める一年前に富士神社を合併しているが、単に合併しただけの理由で社名を解明したのであろうか。この神社の創建が極めて古いことなどから推察して、やはりこの神社も熊野神社のように相馬氏と深いかかわりを持って創建され、相馬氏の庇護のもとで信仰された神社ではなかろうか。このことは当地方の開拓と発展とを考察する上からも究明せねばならない重要な問題であるが、残念なことには安政二年(一八五五)に社殿が炎上してその資料を失ったことである。】(427〜428ページ)

とあります。

あるいは、将門の時代とは少し離れていますが、関係があったかもしれません。では、訪問してみます。 

相馬神社正面

相馬神社額

写真5 相馬神社正面

写真6 相馬神社額

なるほど、新しいこの社殿ではないようです。そこで回り込んでみるとありました。裏手にもう一つ建物があります。写真7の右側の建物です。のぞき込むと立派な社殿です(写真8)。

社殿保管建物 相馬神社本殿(1)

写真7 社殿保管建物

写真8 相馬神社本殿(1)

残念ながら全体が見えないので、今回訪問時のなるべく範囲の多く写った写真(写真9)と、先に引用した「藤代町史通史編」の口絵写真は全体がうかがえますので、お借りして並べて載せておきます(写真10)。 

相馬神社本殿(2) 「藤代町史通史編」の口絵写真

写真9 相馬神社本殿(2)

写真10 「藤代町史通史編」の口絵写真

このあたりの不自由さが、事前調査も無しの勝手な「散策」の限界です。

さて、先ほど「行き止まりのよう」と書きましたが、実はそうではなく、神社の隣には「高蔵寺」というお寺(16世紀後半の作とみられる薬師如来坐像があって、これも指定文化財になっているようですが、今回はパスします)があり、その前を通ってまっすぐ細い道があって、小貝川に通じています。写真11はしばらく行って振り返ったところです。中央奥が相馬神社です。右手の白い建物は藤代図書館です。写真12は、小貝川の堤防から対岸を見たところです。

小貝川への道 小貝川

写真11 小貝川への道

写真12 小貝川

さて、寄り道はよいので元に戻ります。写真3で屋根が震災の影響を受けていると書きましたが、相馬神社の境内も相当被害を受けています。写真13のように石塔上部が落下しています。

ところで、境内に写真14のような「内務省」と刻まれた石があります。裏面を見ると「B.M.」と彫り込んであります。内務省地理寮の水準点ですが、現在は使用されていないようです。

石塔の被害状況   内務省のベンチマーク 

写真13 石塔の被害状況

写真14 内務省のベンチマーク

水戸街道は、写真4の角で直角に折れます。先に書いたようにここが藤代宿です。ここもほぼ直線の道路が続きます(写真15)。途中に写真16のような公民館がありますが、ここが本陣跡だということです。建物の遺構はありませんが、サルスベリと松が残されています。

  藤代宿の現在  藤代公民館(もと本陣跡)

写真15 藤代宿の現在

写真16 藤代公民館(もと本陣跡)

写真17のサルスベリ脇の説明板によれば、【この百日紅(さるすべり)と中央公民館脇の老松は、本陣玄関前にあったものである。】とされています。

    

写真17 サルスベリ

写真18 老松

写真15の道を行くと国道6号線との交差点があります。それを過ぎると今度は左に折れて町並みが続きますが、それが宮和田宿です。先に述べたように、この宿にも本陣があり五日交替で交互に本陣の役目をしていたようです(これを両一宿とよぶ)。こちらの方は、今ではどこにあったのか解らなくなっているようです。そのせいと言うわけではないのですが、宮和田宿の写真は掲載をやめておき、今回はこれまでとします。

常総の史跡INDEXにもどる