埼玉県大宮市氷川神社

平将門の伝説をめぐる旅で私が導きとしているのは、「将門伝説-民衆の心に生きる英雄-」(梶原正昭・矢代和夫、新読書社、1975年)と「平将門伝説」(村上春樹、汲古書院、2001年)です。
前者の「附録1将門伝説分布」(315ページ〜)の<埼玉県>には次のような記述があります。
【氷川神社 足立郡高鼻村 将門反逆の時、平貞盛兄弟鏑矢を奉りて戦勝を祈願すという。(「新編武蔵風土記稿」)】
これに関して、後者の「第三章平将門伝説の分布」には【貞盛の願文 大宮市高鼻町 平の将門の乱に、平貞盛が氷川神社へ参籠して、鏑矢を奉納して祈願したところ、不思議な霊験があったという。その願文が元神主家の岩井家に伝存する。】とあり、著者の注として【※この願文の表現を見ると、天慶期のものとは思われず、後世に創られたものと考えられよう。】ともあります。

この辺が伝説の面白いところですが、後者の本にはもうひとつ氷川神社のこととして
【足立郡司武蔵武芝は、この大社の祭祀に関わっていたが、平将門の乱後、その職を退いたという。】とあります。
武蔵武芝のその後が見えるのは、私の知る限り(狭い知識です)これだけですが、残念ながら典拠がありません。
こうなればと、常総の範囲を超えますが、これまでも何度か超えたこともありますから、埼玉県大宮市の氷川神社に行ってきました。

大宮駅で降りるとすぐですが、それでは趣がありませんから、一つ手前(東京から見て)のさいたま新都心駅で降ります。西口側は霞が関から移ってきた中央官庁の合同庁舎がそびえていますが、東口方に降りると、そこはすぐ「旧中山道」(写真1)です。
大宮方へ歩くとすぐに氷川神社参道入り口があり、大きな鳥居がそびえています(写真2)。

旧中山道 参道入り口

写真1 旧中山道

写真2 参道入り口

向って左側に「武蔵の国一之宮」の碑があります(写真3)。この参道は18丁あるとの案内がありました。1丁が60間で、1間が1.8mですから、1.8m×60間×18丁=1,944m、約2Kmの距離を歩くことになります。
歩いて行くと半分以上過ぎたころまたもや鳥居があり、今度は「氷川神社」という碑があります(写真4)。もう、大宮駅近くになっているようです。
武蔵の国一之宮碑 二の鳥居

写真3 武蔵の国一之宮碑 

写真4 二の鳥居

参道両側にはケヤキの大木の並木が続き、写真5のような札があちこちにかけられています。中には朽ちた跡だけのものもあります(写真6)。

天然記念物表示 巨大な朽ち跡

写真5 天然記念物表示

写真6 巨大な朽ち跡

ようやく2kmを歩いて、三の鳥居に着きました(写真7)。本来はここからが神社なのでしょうか、くぐってすぐの大きな案内図は、ここから始まっています。少し進むと神池があり神橋が架かっています(写真8)。それを渡り切ると楼門です。

三の鳥居 神橋と楼門

写真7 三の鳥居

写真8 神橋と楼門

楼門(写真9)を入ると右手に額殿(写真10)と神楽殿があります。額殿の脇に立札(左の白っぽい四角)があり【この額殿は江戸末期の古い建物で地震の時は危険ですから速やかに立退いてください】と書いてあります。

楼門 額殿

写真9 楼門

写真10 額殿

拝殿と本殿の前には舞殿があります(写真11)。そして荘厳なたたずまいを見せる拝殿とその奥の本殿です(写真12)。この奥は広大な大宮公園で、明治17年に16万坪が大宮市に寄付されそのようになったということです。今回はそこまでは足を運びませんでした。

舞殿 拝殿と本殿

写真11 舞殿

写真12 拝殿と本殿

こうした神社境内には、境内社といういろいろな神社がありますが、これも今回は記録していません。まあ、この「たび」の目的は神社仏閣をへめぐることではなく、平将門の伝説地を、自分の足でおとづれようということなので、案内のページとしては物足りないかと思います。あしからず。

しかし、神社の案内板にも、埼玉県と大宮市の名の入った案内板にも将門の名も承平天慶の乱の文字もありませんでした。少しさびしい。

最後に、神池には例によって亀さんが大勢日向ぼっこをしていましたので、チョット挨拶をしてきました。

神亀?

写真13 神亀?





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