平沢官衙遺跡

 関東の名山筑波山のふもと茨城県つくば市北条に「北条の大池」と呼ばれる池があります。よしの、山桜など250本が周囲にあり、お花見の名所です。
 その大池にほど近く、つくば市大字平沢に、現在復元整備事業が続く「国指定史蹟:平沢官衙遺跡」があります。平沢官衙とは律令制時代(奈良・平安時代)の常陸の国筑波郡役所(正倉)と推定され、昭和
55124日国指定史蹟になったものです。
 県営団地造成にともなう事前発掘調査で発見されたものですが、歴史公園として整備することになり、その資料収集発掘が改めて平成
56年に行われました。
 その結果を茨城県教育委員会ホームページの同遺跡紹介記事から抜粋引用すれば以下のようになります。

 『東西 200m、南北 160mの調査範囲内で、地面に方形の大きな穴を掘り、柱を すえた掘立柱建物跡を55棟分を確認。うち約3分の2が高床式倉庫と想定される総柱式建物跡で、建物方向(方位)が2つに分かれるものの、それぞれの中で整然と配置されている。一部の柱穴からは炭化米が出土しているが、土器、瓦等の出土は少ない。
 掘立柱建物跡のほかにも一度地面を掘ってから、たたきしめながら土を戻して基壇を盛り上げ、その上に建物の柱をすえる礎石が置かれた礎石建物跡基壇跡も4基発見したが、石が全て移動していたため建物の規模などは不明である。
 その他には東南部と北部などで柵列跡が数列確認され、建物跡群とともに上幅
34m,深さ2mほどで、断面が逆台形の大溝跡に北と西を囲まれていた。これらの建物跡、大溝跡、柵列跡は出土遺物や方位、あるいは古墳時代後期の竪穴住居跡(25軒)を壊して作られていることから、奈良・平安時代の811世紀に造営されたもの考えられる。
 またこれらは一般集落のものとは考えられず、大溝に囲まれて総柱式建物跡(高床式倉庫)が規則正しく並んでいることや周辺の遺跡分布から、古代律令制下の筑波郡役所(郡衙)跡の一部(正倉域=税である稲を保管した倉庫群。他に政務を行った郡庁や国司等が宿泊した館等がある)と推定される。』
 これらを受けて、平成
9年度から復元整備事業が開始され、現地の案内板によると事業内容は次の通りです。

 @ 環境整備工事:遺構保護、地形復元の盛土工事、植栽、芝張り(平成910年度)
          遺構の簡易表示、説明板・フェンス設置など(平成
1213年度)
 A 建物復元工事:
3棟の高床倉庫の実物大復元(平成10年に製材、平成11年から
          
11棟で復元工事)

 この区域は現在工事中であるため立入禁止ですが、一部に限って条件付での立入が認められていますので、おいでになってみてください。
 ところで、この遺跡は、本欄で追いかけてきた平将門の時代と重なるだけでなく、その地域も重なる(筑波山周辺での合戦が多い)のですが、興味のあることに「将門記」には「筑波山」が
1度しか登場しないと言います。しかも状況や景観についての説明が無いのは「あまりにも不自然である」と言われています。(『茨城の将門』瀬谷義彦、志田諄一、江原忠昭共著:茨城新聞社19768月)当然、この遺跡(当時はまだ遺跡ではありませんが)も登場しないでしょう。
 いまだに作者についての論争が行われている「将門記」ですが、この辺りにも作者を知る手がかりがあるのではないでしょうか。あまりにも作者の身近な地名であるため、周知の事実としてあえて山名を記さなかった。つまり、作者は都の人ではなくこの土地の人であった、と、素人史家の夢です。
 蛇足。
1976年放映のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(原作:海音寺潮五郎 脚本:福田善之 音楽:山本直純 出演:加藤剛(平将門)、小林桂樹(父、良将)、緒形拳(藤原純友)、吉永小百合(貴子)、他)では、冒頭のシーンは筑波山でした。このときの加藤剛のイメージが、映像化されたことの少ない将門のイメージを決定付けたのではないでしょうか。私もこのドラマを見た頃は平将門の勉強を始めていなかったため、後で文献を読むたび加藤剛の顔が浮かんできて困りました。本当に蛇足でした。

 

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