常陸国分寺

茨城県石岡市は、平成17年10月1日に旧石岡市と旧八郷町が合併してできました。茨城県のほぼ中央に位置し、東京から常磐線特急で約1時間の距離です。
今年(平成19年)の3月に同市にある常陸国分寺跡(国指定特別史跡)を訪ねました。
将門との関係で言うと、もっと早く訪ねるべき場所であったのですが、ずいぶん遅くなってしまいました。

国分寺(金光明四天王護国之寺)は、天平13年(741年)聖武天皇によって諸国に建立されました。全国で住所に国分寺とつくところは、ほとんどがその所在地です。特別史跡としては、ほかに遠江(静岡県)、讃岐(香川県)がありますが、国分尼寺とともに指定されているのはここ常陸だけです。

天慶2年(939年)、将門は藤原玄明に味方し、その流れで常陸国府を討ちます。反逆の始まりです。国府を焼き尽くし、国府印を奪います。このあと、何回か前に訪ねた下野国府に向かいます。
その常陸国府は推定地点が石岡小学校から市民会館にかけてのあたりとされています。その際、国分寺も同様に焼かれたともいわれています(「平将門−調査と研究−」(村上春樹 2007年5月)456ページ)。(天正18年(1590年)佐竹氏と大掾氏との戦で兵火を受けて焼けたのが正しいか)。
常陸国分寺跡は、現存する薬師堂、山門などは明治時代以降のもので、お寺自体は現役ですが、発掘調査により、その規模は全国の国分寺の中でも壮大な部類に属するとされています。

石岡市内

写真1 石岡市街

上の写真は、石岡市のメインストリートです(国道355号線、北から南を見る)。家並みは古さを感じさせますが、電柱がなく、上空はかなりすっきりしています。常陸国府跡や国分寺跡は、この右手の奥に所在します。

史蹟国分寺跡

中門跡

写真2 史蹟常陸國分寺跡の碑

写真3 中門跡の碑

写真2は、史蹟の碑で、このすぐ右側に写真3の中門の碑があります。

石岡市のホームページには、【石岡市では発掘調査を行った結果,中門・金堂・講堂が一直線に並び、中門から金堂にかけて回廊が巡ることが分かりました。また、境内内には塔跡のものと思われる礎石(心礎)があります。塔の正確な位置はまだ判明していませんが、伽藍の東側に「ガラミドウ」という地名があり、関係が注目されています。】としかありません。すこし物足りない気がします。

写真4 現在の本堂

写真5 金堂跡の碑

講堂跡

塔心の礎石

写真6 講堂跡の碑

写真7 七重の塔心

写真5〜写真7までが、先に引用した文中に出てくるものです。

実際に将門が焼き討ちしたかどうかはわかりませんが、当時の重要な施設であったことは確かです。

ここ石岡市にはほかにも史蹟がたくさんあります。国分寺と同時に建立された国分尼寺跡は、史跡公園として整備されています。

また、中心地区よりすこし離れたところには、漆紙文書が多く出土して話題をよんだ「地下の正倉院」といわれる鹿の子遺跡があります。常磐道で寸断されましたが、その面影は常陸風土記の丘に残されています。

このような町ですから、歩道には下の写真のような模様が入れ込まれていました。瓦模様です。近くに、国分寺、国分尼寺を建立した時の瓦を製造した遺跡もあります。

歩道の模様

写真8 歩道の模様

 

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