ご無沙汰しました.

「相馬傳説集」(寺田喜久著 大正116月発行)に以下のようにある
茨城県水海道市の一言主神社に行ってきました.

 


【△一言主神社 在大塚戸 一言主神を祀る,傳説に因れば創建は大同四年の頃と傳へてゐる】
この本は以前にも「篤志家」という肩書きの広告があるので触れましたが,さすがに今読むと漢字と旧字で疲れます.
それはさておき…

一言主神社といえば,奈良県が本家でしょうが,インターネット検索をかけたら
茨城県水海道市の,これから紹介する神社が最初に出てきました.

 


社務所の看板に
【創立 第五十一代平城天皇大同四年(西暦809年)大和の国(奈良県)葛城山の一言主大神を奉斎す.
(中略)本殿は長禄三年(西暦
1459年)守谷城主相馬弾正胤広侯(平将門の子孫)の崇信により再建す.】
とあります.


少し調べてみると,「守谷町史」(昭和603月発行)に【(前略)胤広の再建であることが社記に残されている.
これを証明するものに,その本殿に相馬家の家紋の一つ,相馬撃駒の彫刻のあることが,拝殿改造のとき発見され
また,社門としている九曜の星も相馬家のものと一致しているのである.】とありました.
時あたかも応仁の乱前夜であります.

外からはこの写真のように見えますが,水海道市のホームページに,解説があります.
市指定文化財であったのですね.


 

境内には,「三岐の竹」がありますが,私としてはもう一つの「石棺」のほうに興味があったので掲載します.


        

 

これも社務所の説明板によると,水海道中学校郷土クラブ員が発掘(昭和3611月)して復元した
大塚戸古墳群のものであるそうです.
以前は,中学生による発掘などが行われていたのです.もちろん指導教員の名前もありますが
こうした活動は,いまではなかなか行われていないのでしょう.

一言主の神様はどのような人(?)かは,いろいろ書いてありますが,この際,省略します.
ただ,どうして大和の国の神様をこの地につれてきたのか.

この時代は
792
常陸の国健児200人,全国2
794
平安京に都をうつす
809
平城天皇,嵯峨天皇に譲位し,平城宮を居地と定める
810
平城上皇,平城遷都を計画,失敗する(薬師の変)
などの時代です.この地も,そう辺境ではなかったのでしょう.
将門の乱まで,あと
126年です.(NHK松平アナウンサーにならって発音する)

常総の史跡INDEXに戻る