船玉古墳

今回は将門の時代よりずっと遡ります。

古墳石室に絵が描かれているのは、高松塚を代表として日本列島西のほうに多くありますが、わが茨城県にも存在するのはご存知でしょうか。毎年春と秋、外気と石室内部の気温差が少なくなった頃一般公開される、「虎塚古墳(ひたちなか市)」や、「花園三号墳(岩瀬町)」、「大師唐櫃古墳(霞ヶ浦町)」は有名です。虎塚古墳壁画は、人物ではなく幾何学模様です。
今回はもう一箇所のご紹介です。
前回までご紹介してきた南北朝の戦場であった地域、今の関城町に、写真の神社があります。

船玉神社

ちょっとした高みに鎮座する船玉神社(ふなだまじんじゃ)ですが、この神社は方墳の頂部を削って造られたものです。
方墳は一辺35m、高さは4mあります。現在は県指定史跡(昭和878日指定)になっており、関城町が管理しています。
もう少し近寄って見ると、石碑に「船玉古墳」の名が見えます。



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階段の左下南面して赤い柵で仕切られた部分があります。
もう少し近寄ってみましょう。

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ここが石室への入り口です。内部は横穴式石室で、規模は大きく(全長11.5m、県下最大規模)、古墳時代終末期築造と推定されています。
他の資料ですと、この柵が開いている写真などがあるので、期待していたのですが、私が訪ねたとき(2000年)はこのように鍵がかかっていました。
石材の室は雲母片岩で、産地は筑波山であるとのことです。

この横穴式石室は、羨道部(せんどうぶ)、前室、玄室からなっています。町史編さんのための調査によって、玄室奥壁と西壁を中心に武具を主とする壁画が描かれていることが確認され、奥壁に靫(ゆぎ)1、西壁に同じく靫3が見えました。その他にも赤と白の顔料を使用して何らかの絵が描かれていたようです。しかし江戸時代から石室が開口していたため、石材表面の剥離がひどく、それ以外の絵柄を推定することは困難であるとのことです。

周辺には複数の円墳が残って、古墳群を形成しています。
またこの石室には、隠里の膳椀由来と称する椀貸の説話が伝えられているとのことです。

 

隠里の膳椀由来(筆者の現代語訳による要約)
この岩屋は入り口はそれほどでもないが奥に入ると十丈敷きの広さになるそうな。
その先に、奥に行くほど狭く下っていく穴があるそうな。小石を縄に結んで落としてみるのだが底知れないという。
昔は、この岩屋の入り口に膳椀を置いて「何人前お貸しください」と祈って翌朝言って行って見ると、ちゃんと願いどおり岩の上においてあったそうな。
ここに貪欲な者がいて膳椀を借りたのに長い間返さなかった。すると夜な夜な「膳椀返せ」、「膳椀返せ」と言う声が聞こえるようになったそうな。
けれども、その者が声に耳を貸さずにいると、次第に家運が傾き衰えてしまった。親類縁者が恐れをなして返すとそれは今に伝わる什宝となったそうな。(以下略)

借りた椀を返さないと不幸になる「貸し椀」の伝説は、全国各地に見られ、中部地方に顕著であるといいます。

以上、今回は民話の世界に行ってみました。

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