猪鼻城址

常総地方とは、常陸の国と下総の国・上総の国をまとめて呼んだ呼び名ですが、本欄はどうしても常陸の国中心になりがちですので、今回は千葉市に行ってきました。

千葉市の名の起こりは、桓武天皇の子孫で下総の国に拠った千葉氏にあります。千葉氏の祖は、将門の叔父の平良文だといいます。となると、わが平将門とも因縁浅からずというか、同族であり、相馬氏とともに本欄のメインテーマとなります。

それにしては今まで千葉氏のことをあまり勉強してきませんでした。それは、時代が少し下るためで、相馬氏、千葉氏とも私の興味の範囲からは外れています。もっとも本欄では、古墳時代から、南北朝、そして江戸時代の史跡も、訪ねていますから、まあ、テーマはあってなきがごとくといってよいのでしょう。ともかく、千葉市はずっと以前加曾利貝塚の脇をシールド工事で掘進したほか、かなり仕事をした地で、懐かしい面もあります。現在では、モノレールが通り、ずいぶん変わっています。

千葉大学の隣に、写真1のようなお城があります。こんなお城がここにあったわけではないのですが、なんとも情けないことにこうした史実とは異なる「復元」の試みは各地でみられます。茨城県でも、将門にゆかりの深い豊田城が、場所も異なる地に「復元」されています(写真2)。これらは、正式には「復元」ではなく和風建築だそうですが。

写真1 千葉市立郷土博物館

写真2 常総市地域交流センター(茨城県)

これらについてはもっと語りたいのですが、それはまたの機会として、猪鼻城に話題を戻します。

猪鼻城について「千葉県の歴史散歩」(山川出版社2000年)には、こう書かれています。

【猪鼻城は、源頼朝の挙兵に際し、いち早く参陣して東国武士団の動向に大きな影響を与えた千葉介常胤(ちばのすけつねたね)の父常重(つねしげ)が、1126(大治元)年、上総国大椎城(おおじじょう)(千葉市大椎町)から拠点を移して以来、1455(康正元)年、胤直(たねなお)が支族原胤房(はらたねふさ)に追われるまで、13代330年にわたって両総に覇を唱えた千葉氏の拠点である。(16ページ)】

実際の場所は写真1の博物館を含む広い地域で、その裏あたりが本丸跡であるといわれています。台地の端に写真3のように「神明社」があり、小さな祠があります。ここは、物見台の跡で、東京湾を一望のもとに見渡せたと先の本には書いてありましたが、当日はあいにくの雨のせいか、また、東京湾がその時代より遠くになってしまったせいか、あまりよく見えませんでした。

 

写真3 神明社(1) 

写真4 神明社(2)

この場所に立ち、神社を背にして今上がってきた方を見たのが写真5、その先、階段を上ったすぐ左手に写真6の碑があります。「史蹟猪鼻城阯」と読めます。

写真5 神明社境内

写真6 史蹟猪鼻城阯の碑

これを見るだけで今回の訪問は終わりです。当日は月曜日であったため、博物館はお休みでしたから、またいつか再訪しましょう。

と思ってもと来た道を戻ると、写真7のような場所がありました。ちょうど神明社のある台地の下です。写真8のような由来の書かれた碑もありました。常胤がこの水で頼朝にお茶をあげたことに由来するそうです。そういえば東京のお茶の水も、近くにあった高林寺の庭に清水が涌き出ていて、二代将軍家忠のお茶用に献上したことに由来するといいますから、探せば全国にいくつもお茶の水がありそうです。

写真7 お茶の水

写真8 「お茶の水」由来の碑

今も水が流れていましたが、先の本によると水道水だそうです。(実は、この本は訪問を終えて千葉駅近くの古書店で買いました。先に読んでいればよかった)
お茶の水の周囲は、写真9のように、いろいろな石碑や祠が集まっています。おそらく、あたりにあったものを後世移設したのでしょう。

写真9 お茶の水周辺(1)

写真10 お茶の水周辺(2)

中をのぞいてみると「寛保」(1741〜43年)の文字が見えました(写真11)。中には、こんな怖い顔も見えました(写真12)。

写真11 内部

写真12 像

どうも、事前の勉強が足らなかったせいか、あまり的確な訪問記にはなりませんでした。

写真13 お茶の水付近遠景

全く違う話題なのですが、先の古書店では1978年8月23日に「鷲は舞い降りた」(ジャック・ヒギンズ、早川書房)を購入し、以来この人の本は翻訳されているものすべてを読んでいます。そのきっかけになった古書店が、いまも健在であることはうれしいことでした。

 

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