岩井市(国王神社ほか)

 茨城県岩井市は、平将門の本拠地として、現在でもたくさんの史跡が残されています。

(写真1:国王神社)

 中でも、この国王神社は、将門が宿敵平貞盛・藤原秀郷と最後の決戦を行い破れた戦場の、将門戦死の地と言われ、次女如蔵尼が何年か後当地を訪ね庵を結び、その冥福を祈ったものといい、父の33回忌に当る天禄3年父の像を刻み小祠に祀ったのが神社のはじまりとなったものといわれています。その将門坐像は、制作年代は不詳ですが、衣冠束帯姿の坐像であり、像高76センチ、茨城県文化財に指定されています。
 この座像が昨年、とんだ災難に巻き込まれたのです。

『朝日新聞 98.07.03 朝刊 茨城版』 より抜粋
【県文化財、国王神社から将門座像盗まれる 扉の錠を壊す 岩井/茨城】
二日午前六時半ごろ、岩井市岩井の国王神社(飯塚美貴雄宮司)で、県文化財に指定されている平将門座像(木造)が盗まれているのを、家族が発見し境署へ届け出た。この像は神社の御神体で、一緒に並べてあった複製品もなくなっていた。同神社は今年二月にも絵などが盗まれる被害にあっている。また、周辺の社寺で最近、仏像の盗難が連続発生しており、同署は警戒を強めていた。同市は将門終焉(しゅうえん)の地として知られ、市は毎年秋に将門まつりを開いて、観光の目玉にしてきており、御神体の盗難に落胆している。』《…中略…》
『平安中期の武将・平将門は、中央政権に反旗を翻し、関東に勢力を張ったが、九四〇年に岩井市で討たれた。三十三回忌に、将門の三女如蔵尼が、この座像を彫り、国王神社を建ててまつったといわれる。遺体は近くの延命院に埋められたとされている。
 同市は、「将門の里」として売り出しており、一九七二年の市制施行以来、毎年十一月に将門まつりを開いてきた。三年ほど前から、このまつりの際、座像を神殿に移して公開してきた。現場を見にきた須長昭彦・市企画課長は「市民の宝なので、神宝殿を造り安置してきた。盗まれたことで将門まつりも力が入らなくなる」と肩を落としていた。
 一緒に盗まれた複製品は、県歴史館が九一年に二体作り、同館にも展示している。合成樹脂製だが、本物と見分けがつかないという。
 境署によると、今年二月に猿島町の観音堂で仏像一体、三和町東漸寺で仏像九体、四月に岩井市延命寺で仏像一体が、それぞれ盗まれている。』

盗難にあった座像は、程なく埼玉県所沢市で無事に見つかりました。

『朝日新聞 98.07.07 朝刊 茨城版』 より抜粋
【盗難の平将門座像見つかり神社ホッ 自称露天商、容疑で御用 /茨城】
岩井市岩井の国王神社から盗まれた県文化財・平将門座像(木造)が埼玉県所沢市で無事で見つかり、五日に容疑者が逮捕されたことで、神社や市関係者はほっとしている。』《……中略……》
『飯塚宮司の父の操さん(七三)は、「二体とも損傷はないということなので一安心しました」と話している。石塚仁太郎・岩井市長も「市の宝ともいうべき貴重な歴史的財産なので、早く見つかりほっとしています」と語り、今後の管理態勢については、神社と協議して万全を期す考えだ。
 所沢署は「高価な文化財を壊してはいけないので、保管に気を遣っている。公判は証拠写真で間に合うので、早く所有者に返したい」としており、まもなく国王神社の御神体に再び収まりそうだ。
 県文化財の盗難は連続発生しており、今年になって将門座像を含めて三件、このうち二件は未解決のままだ。
 県文化課によると、今年一月十七日、真壁町塙世の県指定文化財建造物「八柱神社本殿」の彫刻二点、獅子(しし)頭一点、二月二十二日には、つくば市上郷の同「金村別雷神社本殿」の彫刻、獅子頭など計七点が盗まれている。』

 さて、記事中に延命院とありますが、それは岩井市神田山にあり将門の胴体を埋めたといわれています。別に延命寺というのもあり、これがその写真です。

(写真2:延命寺)

 延命寺は、江戸時代の享保年間(1716年〜1735年)に現在地に移転していますが、かつては島広山(写真3:島広山)にあったとされることから、別名「島の薬師」として人々から親しまれています。

 将門の本拠地の館はこの地にあったともいわれています。将門の守り本尊とされた薬師如来堂があり、本尊の大日如来坐像や絹本著色来迎弥陀三尊像は、茨城県指定文化財となり、かや葺きの山門と池にかかる石製太鼓橋は、昔の面影をとどめるとともに、市指定文化財となっています。

(写真4:石井の井戸)

 近くに石井の井戸跡があります。水を求めていた将門の前に一人の老翁が現れて水を湧き出させた、という言い伝えが残っているのが「石井(いわい)の井戸」です。言い伝えによれば、館(営所)を建てようとこの辺りを駆け巡っていた将門は、その時とても喉が乾いていました。すると、どこからか老翁が現れ、その場にあった大きな石を持ち上げ、大地に投げつけると、そこから水が湧き出したのだといいます。一説には岩井という地名の起こりは、石井が転じてなったとも言われています。井戸のそばにある「一言神社」は、この伝説の老翁をまつった神社です。先の本拠地館はこの地であったとの説もあります。

 このように岩井市は、将門研究の基点として常総の史跡めぐりのひとつのメッカでもあります。

 

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