桔梗塚

今回はまた平将門に戻ってきました。
1999年6月にこの「たび」を始めたとき、三仏堂をご紹介しました。そのすぐ近く、関東鉄道常総線稲戸井駅から歩いて3分ほどのところ、国道294号線沿いに「マツダ新茨城」のお店があり(それとの関係は良くわかりませんが)、その脇に小さな塚があります。
枯れてはいますが、花などを供えた形跡もあり、また、周囲が生垣できれいに囲われているところを見ると、どなたかが(竜禅寺?)きちんと管理されているようです。

これが桔梗塚です。

桔梗塚

桔梗と呼ばれる女性は、7人いる将門の影武者の中で、どれが本物か、見分ける方法を「こめかみが動く」と敵に教えてしまったので非業の死を遂げたヒロインとして語られています。その恨みにより、この地方の桔梗は花が咲かないのだそうです。

昭和60年6月の「取手市教育委員会・米野井竜禅寺・取手大利根ライオンズクラブ」が立てた、近くの説明版には、『(前略)竜禅寺に伝わる話では桔梗姫は大須賀庄司武彦の娘で将門との間に三人の子をもうけ、薙刀の名人であったが将門の戦勝を三仏堂に祈願しての帰路、この地で敵将藤原秀郷に討たれたと云う。(後略)』とあります。

最近出版された「平将門伝説」(村上春樹著・汲古書院・2001年5月8日発行)という大部の書には、詳細に桔梗伝説が紹介されています(56ページ〜63ページ)が、この説は載っていません。(ひとり言:しかしこの本は高かった!!)
もっとも、桔梗は、小宰相(「俵藤太物語」では、この人が秘密を暴く)と同一人物だったり、秀郷の娘だったり、千葉県東金市御門での伝承は将門の母だったりする(この場合は秘密を暴かない)ので、定説などというものは無いのでしょう。
桔梗が花をつけないといことは、薬草として根を用いるため、花を摘んだところから来るとかかれています。薬屋さんが伝説を作り出したのでしょうか。

今でこそ国道沿いに店が建ち並び、その一角に身を潜めている桔梗塚ですが、古い写真を見ると「桔梗ヶ原」と呼ばれた中に「大きな山椒の木におおわれて」(「史跡紀行 平将門」加藤慧著・新人物往来社・昭和51年1月10日初版発行・96ページ)いたようです。同書より、当時と思われる写真をお借りして見ます。26年の歳月が感じられるでしょうか。

「史跡紀行 平将門」加藤慧著・新人物往来社・昭和51年1月10日初版発行・96ページ

ちなみに、先の村上春樹氏は、同書の著者略歴に、「現在、横浜市立図書館嘱託」とあるように、小説家とは同姓同名の異人です。将門研究のバイブルとも言うべき『「将門記」研究と資料』(新読書社)にも論文をお書きの、古くからの将門研究者であられます。将門に関心のおありの方には、蛇足でした。

 

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