高野城址(茨城県守谷市)

本欄平将門の伝説をめぐる旅では、もうひとつ、南北朝時代の史跡も巡っています。今回はその一つ、守谷の「高野城」です。
といっても、この地名は「今城(いまんじょ)」の方が通りが良いようです。
さらに、現在では、この地は「けやき台」となり「高野」は少し離れた場所を指すので、今回の内容はこのサイトのもう一つの連載「守谷の風景」とコラボレートさせる予定です。ぜひ両方をご覧ください。

ふれあい道路けやき台 今城橋(いまんじょう橋)

写真1 ふれあい道路けやき台

写真2 今城橋(いまんじょうはし)

ふれあい道路を取手方面から守谷に入ると、美園を過ぎたところで写真1のような橋を渡ります。写真1の中央の四角い建物は南守谷交番です。
この橋は写真2のようになっていて、調整池からの水路上にかかっています。
今城橋銘板 いまんじょうはし銘板

写真3 今城橋銘板 

写真4 いまんじょうはし銘板

この橋の名称は「今城橋」といい「いまんじょうはし」と呼びます。写真3は守谷に向かって右手にかかり、同左手には写真4のような銘板がありますが、この写真4の奥に見えるこんもりとした森が、今回訪ねる「高野城址」です。

うららか公園1

写真5 うららか公園1  

写真1のふれあい道路「今城橋」を少し進むと信号があり、右折すれば関東鉄道南守谷駅に行きますが、ここは直進します。信号のない2番目の左折個所があるので、左折します。この辺りは「けやき台3丁目」です。
3区画ぐらい行くとうっそうとした緑に覆われた公園があります。写真5の「うららか公園」です(私としては、もう少し古くからの地名にちなんだ名前にしてもらいたかったと思います)。
この公園は3段になっていて、写真5がその1段目です。

うららか公園2

写真6 うららか公園2

写真5の中央に見える階段を上がるか、いったん公園の外に出て西に回り込むとまた入口がありますから、そちらからスロープを上がると、写真6のような平たんな場所があります。写真6の右手奥に見える白い看板があり、そこには次のような紹介の文が書かれています。

【今城(いまんじょ)の由来
この公園は今城の城址公園です。
今城とは、今造られた城(新しい城)という意味で、正しい城の名前ではないと思われるが、昔から「いまんじょ」と呼ばれています。
城の様式が極めて単純・素朴にできているので、戦国時代より以前に築かれた城ではないかと推測されています。
そしてこの城は、一定領主の生活のための城ではなく、戦時用の城砦と見られています。
興国元年(暦応三年・一三四〇)、日本の国内が南北朝に別れて激しく争われていた頃、守谷に居た相馬忠重が、南朝の見方をして城を築いて北畠顕国を迎えたという記録があるので、その時の城がこの今城ではないかと考えられます。
顕国はその後北朝軍に攻められ敗退しています。
この城は、南朝の英勇(ママ)北畠親房が、最後に拠った大宝城関城と構造が良く類似して、自然を利用した簡単な土塁を造った程度の城です。
いずれにしても、当時守谷の祖先たちは南朝側に味方をして、錦の御旗を立てて気勢を挙げ、日本の歴史の流れに大きな役割を果たした由緒深い城であることは間違いないと思われます。
守谷町教育委員会】

読んでいて、文章に少し違和感もあります(とくに最後のフレーズ)が、色々調べてみた中ではよくまとまっている説明です。後に引用する「守谷町史」(昭和60年3月)にも、ほとんどこれ以上のことは出てきません。つまり、よくわからないのでしょう。
調べた中で参考になりそうなものを次に引用します。

今城遺跡航空写真

写真7 今城遺跡航空写真

図1 高野城平面図

写真7は、「南守谷地区土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告T-昭和52年度乙子遺跡・北今城遺跡-」((財)茨城県教育財団 昭和53年3月30日発行)の20ページにある発掘調査中の遺跡全景です。中央手前の低地に張り出した個所が今城城址のうち、いま公園になっている場所で、図1高野城平面図のC区画に当たります。
図1は、「守谷町史」の142ページから引用しました。ここには「「高野城調査報告書」より」とありますが、この報告書を見つけることができませんでした。
「守谷町史」では【『高野城調査報告書』に、高野城(こうやじょう)となっているので、その名称を用いた。しかしながら、この城の所在地を現在も、北今城、南今城と言っているから、今城と称した方が良いかもしれない。土地の人はこれを今城(いまんじょ)と呼んでいる。】と、断っています。同書によれば、C区画は面積およそ4,000坪、本郭とみられる、とあります。
そして【高野城は本町史編さんの最中に、宅地造成のため、すっかりその面影を失ってしまった。】と、残念そうな文章でその節(第5章第4節)が結ばれています。

蛇足ですが、写真7の右手に白い構造物が見えます。これはおそらく写真2で水のたまっている調整池よりの放流渠ではないかと思われます。

高野城C区画

写真8 高野城C区画

写真8は、先に3段になっていると書いたその3段目で、おそらくC区画そのものであろうかと思われます。

さて、1/25,000地形図などをよく見ると、この地に三角点のあることが分かります。地図記号が三角形の中に黒点のある記号ですから、標石のある三角点なので、歩き回って探してみました。あまり広くはないのですぐ見つかりました。写真8の左手奥の方角です。国土地理院の名称の入った白い杭とともにありました。
(あまり詳しく位置を書くといけません。見つけた方も、決して動かそうとしたりせず、大切に扱ってください)

三角点

写真9 三角点

この地の南側から東側は、水田地帯になっています。最後にそちらに回ってみました。

高野城遠望

写真10 高野城遠望

写真10は、高野の海禅寺から本宿に抜ける通りからの遠望です。中央の森が高野城です。


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