将門出生の地

 「相馬伝説集(寺田喜久著:大正11625日印刷、同28日発行、昭和591020日、崙書房により復刻)」には、平将門の伝説のみならず、旧相馬郡の伝承が多く集められて面白い本です。本文以外にも面白いことがあるので、それは最後に触れます。
 今回はまた常総に戻って、写真の神社の説明を上の本から旧字を新字又はかなに変えて引用します。この神社は、関東鉄道常総線の新取手駅南西に約
500メートルのところ、取手市寺田(昔、寺原村大字寺田字小山)にあります。近年改装されていますが、歴史の古い神社なのです。
《惣代八幡社 在寺原村
 寺田小山にある、人皇五十代平城天皇の大同二年(引用者注、
807年)守谷西林寺二世の祖寛海法師山城国石清水八幡宮より分身遷座して相馬に観進せしものだと伝えている。後相馬将門の守護神として崇敬厚かりしが、将門没後も守谷に居城の相馬家累代の氏神としてあった、徳川幕府の時五石の田園を給わった、この地はもと守谷の飛地であったが、今は寺田に編入され村社となっている。》
 なぜこの神社が将門以来の相馬氏の守護神となっているかは、ひとつの説があります。「尊卑文脈」によれば、将門の母は縣犬養春枝の娘であって、この縣犬養氏(奈良朝の頃下総少目として下りし浄人の裔なりと伝う「平将門故蹟考」(織田完之))の居館がこの地であり、したがってここが将門出生の地であると言うのです。また、もうひとつは、取手市戸頭の住都公団戸頭団地の南、利根川に近い場所にある戸頭神社がそうであるとの伝説もあります。いずれにしてもこのあたりが相馬郡であり、当時は子は母方の元で育つのが普通であったので、将門を相馬小次郎と称したのだといわれています。
 将門の出生地又は育った地の伝説は各地にありますが、以前ご紹介した「三仏堂」が子の近くにあることなどを考えると、いかにもこの地がそうであったような感じがします。

 さて、冒頭のほんのどこが面白かったかを、少しご紹介します。(今回の内容とはまったく関係はありません。)
 この本には広告が掲載されていて、著者の出身がこの相馬郡(今でいう茨城県北相馬郡)であったらしく、安孫子市を含む近郷の商店他の名前が多く見えます。その中にたとえば、
       《手賀村村議 大字布瀬
           篤志家 ○○○○》
とか
       《千葉県東葛飾郡富勢村大字布施
           篤志家 ○○○○》
など、「篤志家」なる肩書きが見えます。同時に、「旅人宿」「牛馬商」「豚仲買営業」など、今では見られない広告があって大変面白く楽しめます。

 今回は、内容も少し脇道にそれてしまいました。

 

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