水守営所跡(つくば市)

 つくばエクスプレス(TX)の開通で一気にアクセスの便の上がった茨城県つくば市の旧筑波町に、将門記に出てくる水守(みもり)の営所跡があります。将門の叔父平良正の居館であったとも平国香の営所であったともいわれているそうです(「平将門伝説(村上春樹著)」)。まあ、伝説ですから、その真偽はわかりませんが、現在の遺稿は戦国期以降のようです。場所としては小高くて、敵を迎え撃つには格好の場所でしょうが。
 駅からはかなり遠く、筑波山が手に届くようなところです。

筑波山

水守から見た筑波山

 つくば市の東大通り(ひがしおおどおり)を筑波山の方向に向かうと、国道125号線にあたりますが、そのあたりを田中といい、少し手前を左に入ると水守となります。
 この筑波山は、そのあたりから撮影したもので、おそらくこの眺めは将門の時代から変わっていないように思われます。

 この地で筑波山を背にして眺めると小高い台地があります。

水守営所遠景

 中央の白い建物の左に少し高い樹木がありますが、その向こう側が営所跡です。右側から多少急な坂をあがると右側に小学校があります。田水山(たみやま)小学校です。この小学校は明治10年に創立の古い学校ですが、そのときは先の田中にあり、田中小学校といったようです。その後田水山小学校となり、昭和48年現在地の水守620番地に移転しています。

田水山小学校と水守営所跡の碑

 正面が小学校ですが、右手の藪の手前に、水守城跡と彫られた石碑が建っています。

水守城跡碑

 地名や場所から考えて、この地が将門記にある水守の営所跡であると「新編将門地誌(赤城宗徳著)」などでは書いていますが、「筑波町史」などでは、先にも記したように、いろいろな特徴から、戦国期に作られたとみられるとしています。
 戦闘には地理的条件のよい場所ですから、それ以前に城が作られており、それが戦国期に改修されたということも考えられます。その元が『将門記』に記されている水守営所であった可能性は大きいでしょう。しかし、同町史では、水守営所が置かれたという10世紀当時、この場所に古墳が群集していた可能性のあることを考えると、そうした場所に営所を築くことをしたかどうかは、今後の研究課題だろうとしています。

 現代に戻ってみれば、この岡のすぐ下の田に、「田水山小学校耕作田」の看板がありました。同小のホームページによれば、学級数7、児童数140だそうです。きっと全員で田植えや草取り、稲刈りなどをするのでしょう。イナゴもいそうです。将門の時代から、これも変わっていないのでしょう。TXでこうしたところにもすぐ来ることができます。

田水山小学校耕作田

 

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