勿来の関

常陸の国の太平洋側には、陸前浜街道が奥州へ続いていますが、水戸から北へ向かう街道は、古くは「岩城相馬街道」「東海道」「奥州東通り」などと称されており、明治5年(1872年)統一した名称として「陸前浜街道」とされたといいます(「街道の日本史13 北茨城・磐城と相馬街道」(吉川弘文館 2003年 2ページ)。現在の国道6号線がほぼ浜街道をなぞっています。
その、常陸の国の最北端、現在の北茨城市の平潟港を過ぎると奥州福島県です。

この両国の境界に、「勿来の関」があります(常磐自動車道いわき勿来I.C.から約10分。関の前に無料駐車場があります)。古くは「奈古曽」とも書かれたこの関は、5世紀ごろ設けられた奥羽3関(他は「白河の関」「念珠の関」)のひとつで、古来、歌碑・石碑が多く立てられていることでも知られています。(ただし、本当にこの場所であったかどうかは疑問とする説もあります)
たずねたのは2007年2月でしたので、写真の風景色合いがまだ冬の面影を残しています。「勿来の関公園」としての整備工事中でしたが、ざっと見学することが出来ましたのでご紹介します。(ただし、和歌の類は本欄では専門外なので、歌碑の紹介は無しとします。また、早朝だったため「いわき市勿来の関文学歴史館」は開いておりませんでした)

写真1 勿来の関

写真2 源義家の像

ここに源義家(みなもとのよしいえ:長暦3年(1039年)〜嘉承元年(1106年)。平安時代後期の武将。八幡太郎といわれる)の像があるのは、彼の和歌にここを枕詞にしたものがあるということなのかどうか、また、いつごろ立てられた像なのかは、記録を忘れました。

写真3 松が多い風景

写真4 弓掛けの松 説明

少し坂になった道をあがっていくと、両側に歌碑などが点在しています。それぞれ、有名な歌人たちの名があります。小野小町、紀貫之、西行、芭蕉そして源義家などなど。

写真5 両側に歌碑が点在

写真6 歌碑などの説明版

頂上らしきところ(休憩所などがある)といってもなく、木々の間から太平洋が見えます(写真7)。残念ながらよく映っていませんでした。
なだらかに下ると
「いわき市勿来の関文学歴史館」があります。

写真7 太平洋遠望

写真8 文学歴史館への道

そこから今度は車道を引き返してきました。

写真9 皇紀二千六百年の碑

写真10 総合公園全体像

皇紀二千六百年とは、明治政府が「古事記」と「日本書紀」から定めた紀元で、その2600年は昭和15年(1940年)でした。なぜ、この地に建てられたかは判りません。

 

 

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