取手市岡台地の将門

平将門といえば守谷市や旧岩井市などが思い浮かびますが、私も以前住んでいたお隣の茨城県取手市にも、思いのほか関連する伝承の地があります。この欄でも、「桔梗塚」「三仏堂」「八幡神社」「戸頭神社」などを巡ってきました。

今回は、小貝川の岡堰近く岡台地を訪ねました。近くには高井城址公園などもありますが、これについてはまた後ほどとして、県道守谷藤代線のそば、延命寺を最初とします。

写真1 延命寺遠景

写真2 延命寺の碑

この親王山延命寺は、紀州根来のある上人が、夢で将門の縁者ということを知り、この地まで来て開基したという縁起が伝わっているということです。
県道沿いには写真2のような立派な碑が立っていますが、少し回り込むと写真3の様な急な階段があり、古さを残しています。

写真3 延命寺階段 

写真4 門と本堂

県道を少し下ると用水路がありますから、そこを東に折れます。右手の林の中に写真5のような新しい標識がありました。「岡台地と平将門 平成十三年二月」とあり、側面に【ここ岡台地は、一望千里といわれる平坦な水田地帯の広がるわが町にあって唯一の台地で、古い歴史を秘めているところである。特に、承平の乱(承平五年・九三五年)をおこした平将門にまつわる史跡が散在し、伝説が語り継がれている。】とあります。
たしかに、延命寺から小貝川、さらには遠く筑波山まで見える(写真6)絶景の地です。中央が、小貝川に島のように突き出した水神岬公園です。旧岡堰は今はなく、写真右手奥に新岡堰が見えます。

写真5 案内標識

写真6 延命寺よりの眺望

少し行くと、田の中に写真7のような島状の地形が見えます。
写真8の手前は用水路で渡れません。正面に見える民家の裏手に細い道があるので、そちらから回り込みます。

写真7 仏島山1

写真8 仏島山2

碑(写真9)文は古く、一見しては読めなかったのですが、案内板(写真10)には次のようにあります。
【旧藤代町文化財指定史跡 仏島山古墳
美しい円墳で墳丘も高かったと言われるが、過去二回に亘って古墳の土砂を採取したので、その形状は明確には判明しない。しかしながら周囲の状況等から判断して、これは径約三十メートルの円墳と推定される。また、遺物の出土状況から判断してこの墳丘は埴輪円筒をめぐらし、その上を美しい埴輪で飾った整然たる古墳であったと想像される。本古墳の築造年代は、六世紀(今より約一四〇〇年前)のものであることが判明した。なお、明治二十八年学校敷地造成のため、土砂を採取した際に、石かく・骨片・刀剣・曲玉・鉄鏃・埴輪・埴輪円筒等出土したが、この多くは現在の国立博物館に納入された。また、昭和八年岡堰改良工事のため土砂を採取した時、埴輪(四)、円筒埴輪(七)を出土したが、それ等は国立博物館に納入してある。本古墳に仏島山の名称がつけられたのは、古墳の周囲には堀をめぐらし一大島状をなしていたが、その後、中世になって墳丘上に仏像や石塔等が建立されてから、仏島の名が出たものといわれる。】

どうもあまり達意の文章とは言えない、とくに最後の行などは、という気もします!?。
それはともかく、何か墓のようなところがあって、掘ってみたら戦の道具や人骨が出てきたという場合、それが将門の乱と関係しているという伝説が生まれるのは、この地方の特徴かもしれません。「六所塚」なども同じかもしれません。
案内板にはさすがに書いてありませんが、碑文の全文が「関東中心平将門伝説の旅(茨城)」(稲葉嶽男編著 昭和62年)にあります。【仏島山之記碑】と題され、昭和八年に建立されたようですが、その1行目は
【此仏島山天慶年間平将門之史蹟而古来称岡不知・・・】となっています。

写真9 仏島山の碑

写真10 案内板

戻ってまた用水路に沿って少し東に行くと、道路がY字になっていますから右側に進みます。右手が急な斜面の山になっており、岡台地の突端であるかと思われる所です。
ここに、写真11のような鳥居(補強がすこし痛々しいです)があります。写真12では、かすかに「岡神社」と読めます。

写真11 岡神社鳥居1

写真12 岡神社鳥居2

急な石段を上ると、岡神社(写真13)があります。振り返るとかなり急であることが実感できます(写真14)。
ここは、実は大日山古墳といい、その上に神社があるのです。

写真13 岡神社

写真14 階段

この神社の建つ岡も古墳で、案内板には次のようにあります。
【この古墳は岡台地の先端に造営された古墳で、高さ約二・八メートル、底径十八メートルの美しい古墳である。この古墳は未発掘の古墳で副葬品等は不明である。かつてこの付近から各種玉類・鉄鏃等が発見されたが、築造年代は古墳時代後期でないかといわれている。中・近世になって大日信仰が盛んになると、この墳丘に種々の石碑や石造仏の類が建てられたので、大日山の名はそれによってつけられたものであろう。現在この墳丘上に岡神社が創建されている。】
例によって最後の行の「創建」などは、使い方が違うと思いますが・・・。

ぐるりと回ってみると、写真15〜18のように、石碑などが多く並んでいます。教育委員会の案内板にはこれもまたありませんが、境内に立つ【祭礼記念碑】には、【・・・この辺り一帯の広場を朝日御殿跡といい、将門の妾桔梗の御殿の跡と伝えられている。】とあります。
桔梗は、「桔梗塚」でも有名ですが、いろいろなところでお目にかかる、将門伝説中の有名人です。

写真15 周囲の石塔など1

写真16 周囲の石塔など2

写真17 周囲の石塔など3

写真18 周囲の石塔など4

階段を降りて南に少し歩いて振り返ったところが写真19です。台地の端の様子がわかります。写真20は、遠望です。小山の中央少し右寄り、高い木のあるところが大日山古墳の位置です。

写真19 遠望1

写真20 遠望2

伝説の地を巡るので、それが正しいかどうかなどを吟味しませんから、お読みになる方はどうかその点をお含みおきください。

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