大杉神社 (茨城県稲敷市)

今では少し影を潜めてしまった本欄のメインテーマである平将門関係事績や,前回の小田城に関係する北畠親房の事績などを勉強していると,日本列島を人々が移動する経路には陸路とともに海路があったことがわかります。

その一つは利根川と今の霞ヶ浦を通過してみちのくに向かう経路で,有名な鹿島神宮などがなぜそこにあるかの説明にもなります。

霞ヶ浦は,古代や中世には海であり,重要な航路でもありました。土浦方面から国道125号線で来ると,台地の突端にあることがわかります。その航路に面した大杉神社に行ってきました。この神社は通称「あんば様」(現在の地名は茨城県稲敷市阿波(あんば))で知られており,水上・海上安全のほか悪疫よけに効験ありとして関東一円に信仰されています。

神社ウェブサイトの「大杉神社の歴史」によれば、この台地は律令制以前「信太流海」(霞ヶ浦の西浦)と「榎浦流海」(利根川流域の低地部に広がっていた内海)に突き出た半島で、その北東部に離れて「浮島」があり,阿波は阿波崎と須賀津に囲まれた内湾(霞ヶ浦の甘田入)の奥部に位置していたといいます。

そして,この地にある巨大な杉が、漁民の守護神として信仰されるとともに、内海(香取内海又は常総内海)の航路標識になっていたといいます。

 
写真1 神橋?(2018年1月2日撮影) 写真2 大木と龍の碑(2018年1月2日撮影)

今回は龍ケ崎市方面から来て稲敷市幸田の信号を国道125号線に入ったので,神社のしばらく手前(下阿波)の臨時駐車場に車を止めました。国道125号線は,このあたりから上り坂となりますから,台地のすぐ下になります。

写真1は、大杉神社臨時駐車場の脇にあるひろばの水路に架かっている橋です。この橋を渡ったところが小公園の池になっていて(2018年1月には水はなかった)航空写真を見ると,何やら天狗の形をしていますが,詳しい説明はネットを検索しても出てきませんでした。

神社目指して少し行くと写真2のような大木があります。由緒ありそうですが説明がないのでわかりませんでした。このあたりから台地を登ります。

 
写真3 大杉神社前信号(2018年1月2日撮影) 写真4 大杉神社(2018年1月2日撮影)

しばらく歩くと国道125号の「大杉神社前」という信号(写真3)があり,そこに鳥居があります。国道を土浦方面から来た車が駐車場に入るため列を作っています。写真4にはたまたま人が写っていませんが,正面の階段を上ったところが境内です。

 
写真5 大杉神社鳥居。奥は摂社大国神社(2018年1月2日撮影) 写真6 大杉神社本殿(2018年1月2日撮影) 

写真5,6には大勢の初詣の人々が写っています。鳥居をくぐって正面が大杉神社ではなく,摂社の多くに神社で,その右側にあるひときわ立派な本殿が大杉神社です。なぜこのような配置になっているか,後で想像を述べてみます。

(なお,摂社とは本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社(やしろ)で,格式は末社より上位だそうです。大きな神社の境内には多くの小さな神社があることが多いのですが,そのことです。)

   
写真7 木鼻の飾り(2018年1月2日撮影)  写真8 麒麟門(2018年1月2日撮影) 

社殿やそのほかは平成8年から開始された平成の大造営が終わったところだと言うことで,各部の彩色が非常に鮮やかです。写真7はその一端で,木鼻(「木の先端」という意味の「木端(きばな)」が「木鼻」に当て字されたもの)に象(中央右)や獅子(中央)や龍(中央左)が,艶やかです。

大杉神社のサイトの説明に次のようにあります。
【宝暦年間に存在した社殿群は当時の記録から本殿、拝殿、唐門を5つ取り付けたとみられる透塀をともなった社殿のほかに神楽殿、神輿舎、回廊、楼門、唐門、総門、土蔵六棟などがみられます。(中略)中でも楼門は麒麟門と称されていたようで、日光の陽明門を彷彿させる威容を誇っていたとされております。平成22年3月27日、二階建ての楼門「麒麟門」が完成します。本殿、幣殿、拝殿を繋ぐ県内最大の複合社殿への正面入り口として、約280年ぶりに再建。】

その麒麟門は,国道125号線に接しているせいか入れないようになっていますが,配置から考えてこちらが神社の正面であろうと思います。こちらから入れば,本殿は正面にあります。また,「茨城百景 阿波の大杉神社」という碑もここにあります。(なお,リンク先は茨城県のものですが「阿波」が「阿洗」になっています。誤記?)

写真8は国道を挟んで向かいの阿波郵便局前から撮影したものです。

 
写真9 三郎杉(2018年1月2日撮影) 写真9 土塁越しに見える筑波山(2017年9月21日撮影) 

大杉神社の名の由来の通り,境内には巨木の杉の木があり写真9は「三郎杉」です。「太郎杉」は早く焼失し,「次郎杉」は境内再奥にあります。

明治以前は神仏混交でしたので,神社やお寺が土同じ境内にあるのは普通でした。明治になって神仏分離がすすみ,筑波山神社のように廃仏毀釈でお寺から神社になったところもあります。写真10は,大杉神社境内にある安穏寺です。稲敷市観光協会のサイトによれば【大杉神社に隣接する「安穏寺」には、源義経の家臣、常陸坊海尊が 滞在したという伝説があり、文治5年(1189)銘の海尊の石塔が建てられています。現在は、桜の名所としても有名です。】ということです。

境内にはそのほか多くの末社等がありますが省略します。いろいろ調べましたが,平将門との関連はとくに見いだせませんでした。

この近くには,ずっと以前訪れた「神宮寺城」の古跡もあります。

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