大月市の将門

今回は、このシリーズのキーワードとして選択した一つ、平将門での話題ではありますが、場所は常総の地よりかなり遠く、山梨県大月市を御紹介します。
路傍の何気なく通り過ぎてしまうような、地元の人にしか知られていないような史跡に、ここでも出会うことができました。

平将門を近代的な史学として取り上げ研究した初期の人、織田完之の「平将門古蹟考」(明治40年:影印版 昭和48年)に、「甲斐国都留郡和田村は平将門の末流住居の地にて鎮守は将門の霊をまつる神体は鏡なり七仏を刻してある由」とあります。
現在の地名で言えば、山梨県大月市七保町和田で、この写真の塔はそこにあるものです。また、ここよりさらに北へ入った小菅村にも、同書によれば、将門の滅亡後その一族が剃髪してこの地に隠れたという言い伝えがあります。
現地は、今では東京電力が葛野川ダムを建設中で、車両の通行も多くなっています。しかし、国道
139号線とはいえ、大菩薩峠に近く、非常に草深い地です。その雰囲気を少し味わってください。

平家の落ち武者が住み付いたといわれる集落が日本各地にあって、それぞれいろいろな伝説を持っていますが、平将門にも同じような環境の場所に同じように伝説が見られます。
梶原正昭・矢代和夫「将門伝説」(
1975年)によれば、将門伝説の分布は、北は青森県から西は広島県にまで及んでいます。その内容は多様ですが、将門の子孫または関係者が落ち延びて住み付いたという「落ち武者」集落伝説も多くあるのです。
また、将門の伝説には「七」にちなんだものが多いようです。七人将門または七人影武者の話はよく知られています。東京、埼玉、山梨県境に雲取山があり、この南東に七つ石山があって、将門はここに陣取り、藁人形に息を吹き込み影武者
6人として、秀郷と縦横無尽の戦いを繰り広げたといわれます。さらに、北斗七星信仰⇒北辰⇒妙見菩薩信仰ときて将門の守護神になったようで、星辰の紋(中央に大きな○、その周囲に6ないし8個の小さな○)につながっていきます。この紋は下総の千葉氏、磐城の相馬氏、陸前の千葉氏、陸中の南部氏、陸奥の津軽氏、出羽の伊達氏などのように将門伝説の分布圏と重なるところが多いと言われます。
この写真の塔の前にも、地元の人が供えたのでしょう、この紋の入ったぐい飲み様の物が備えられていました。
同書によれば、この集落では、かつて戸数
14戸のうち7戸は「七人組」と称し、皆総髪にしており、それを嫌い月代(さかやき)にすれば必ず死ぬと戒めたと言われていたそうです。氏は相馬で紋は放れ駒、将門の次男相馬小太郎常門を祭神とする常門神社があるといいます。現に今の大月市立上和田小学校周囲のお宅は「相馬」性のかたがが多くおられ、中には「将」の字を名にもたれている方もおられます。(ちなみに、わが社のある茨城県北相馬郡近傍は、将門の故地でありますが相馬姓の方はあまりおられません。相馬氏の研究書では「中世相馬氏の基礎的研究」(岡田清一:昭和53年)がありますが、ここでは時代を超えますので省略)
取手市稲戸井にも、桔梗塚という史跡がありますので、いずれご紹介したいと思います。何はともあれ、今回はずいぶん遠くへ来てしまいました。

 

常総の史跡インデックスに戻る

MTRホームページに戻る