間宮林蔵生家

 

私の住んでいる茨城県守谷町のお隣が、伊奈町です。近年、「ワープステーション江戸」なるテーマパークが出来、NHKの大河ドラマや、映画のロケが行われたりしています。
今回はその伊奈町にある記念館を訪ねます。何回か前に訪ねた小貝川岡堰の、少し上流左岸に下の写真のような建物があります。

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左側のかやぶき屋根の民家が、復元された間宮林蔵生家です。右側の門を入ったところにあるコンクリートの建物が、(ふるさと創生資金で建てられた)間宮林蔵記念館です。
間宮林蔵は、もう一つのコラムでご紹介した千葉県佐原市の伊能忠敬と同様土木技術者、特に測量技術者にとってはご先祖さまのような存在です。また二人は同時代人なので、何らかの交友もあったようです。間宮林蔵は、カラフトが半島ではなく島であることを確認した、間宮海峡の発見者として有名ですが、その生涯はあまり知られていません。
10年以上も蝦夷地にいて測量作業などをしたり、江戸に戻ってからは隠密のような仕事をしていたらしく、また、実子も無かったことから、遺品も少ないようです。
近年の話題は、火星と木星の間にある小惑星帯で新たな小惑星が発見され、発見者が北海道在住の人であることからか、この天体に間宮林蔵の名を着け、国際天文学連合に正式登録されたことです。
簡単に年表を記しておきます。引用は旧伊奈村教育委員会が昭和
46年に掲げた案内看板です。
1780年(安永9年)常陸の国筑波郡谷井田村上平柳に生まれる
1799年(寛政11年)幕府普請役下役となる
1800年(寛政12年)幕府蝦夷地御用雇に任ぜられる
          クナシリ、エトロフ、シコタン諸島を巡視する
          西蝦夷海岸を測量する
1805年(文化2年)御普請役に進む
1808年(文化5年)松田伝十郎と共に樺太を探検する(第1回探検)
1809年(文化6年)単身樺太を探検し離島であることを発見する
         
進んで東シベリアに上陸、大陸と樺太との関係を明らかにする
         (第
2回探検)
1810年(文化7年)「北蝦夷図説」、「東韃紀行」を著す
1844年(弘化元年)江戸深川蛤町の住居に没す
このように、若いときと探検から帰ってからが良くわからないようです。
教科書に良く載っていた肖像画も生前ではなく死後に書かれたといいます。ちなみに、作者は柳田邦夫の弟さんだそうです。
記念館前に立つ銅像は、その肖像画を元に作られているようです。

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また、次の写真は、この生家の1983年の写真です。このころはだいぶいたんでいましたが、中に入ると遺品が薄暗い中に展示してあり、それはそれで興味を引くものでした。庭に近くで出土した弥生時代の丸木舟が水を張って朽ちないようにして展示してありましたが、最近は見えません。どこかに収蔵してあるのでしょうか。
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実は、生家は昔からこの場所にあったのではなく、ここから約50メートル南西にあった建物が、増築改築等を重ねてきたためその様子が大分変わってきたため、また老朽化したため、昭和46年に現在地に移築、復元されました。文化庁清水技師設計とあります。この家は昭和3011月茨城県の文化財に指定されています。

今回はまた自宅の周りに戻ってきました。

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