稲田山西念寺(茨城県笠間市)

本欄は、平将門の話題を中心に据えていますが、ときに違うテーマの場所を訪れる事もあります。

と言う事で、今回は茨城県に多い親鸞聖人の遺跡でも、その中心になるべき笠間市稲田の西念寺を訪問してみました。

親鸞聖人の遺跡では、以前小島草庵跡をだ訪ねたことがあります。こちらのページです。こちらで「浄土真宗発祥の地」と紹介していながら、なかなか訪問できませんでしたので、今回の訪問となりました。

国道50号線を水戸方面から行きます。笠間市市街入口を通り過ぎて稲田に入ると右側に大きな看板があります。入っていくと小さな駐車場があり、ます。写真1は、その駐車場からの眺めです。とても、国道沿いにあるとは思えない静かなたたずまいです。

国道の方から入ると、細い参道が続いてなかなか良いのですが、今回は撮影しませんでした。

写真1 西念寺全景

写真2と3は、山門です。写真1の右から2本目の電柱の陰になって見えます。

西念寺山門 山門内側

写真2 西念寺山門

写真3 山門内側

山門の脇に、大きな石碑が建っていて【親鸞聖人教行信證御製作地 浄土真宗別格本山】と彫ってあります。

いまでは、浄土真宗は色々な派に別れていますが、その元をただせば、この地で親鸞聖人が「教行信證」をお書きになったことが浄土真宗の初めであるから、他の派とは独立の「別格本山」なのだと言う事のようです。

鐘楼 「唐本一切経」庫

写真4 鐘楼

写真5 「唐本一切経」庫

山門を入ると右手に鐘楼があります。西念寺の歴史と規模を考えると、なんだか不釣り合いな気もします。
また、大谷石で造られた蔵があり、【市指定文化財昭和五十四年十月一日 唐本一切経】と碑が立っています。
ところが、市のホームページ「市指定文化財」の処には紹介がなく「県指定文化財」15番が、住所や内容から該当するものと思われますから、昇格したのかもしれません。

本堂 御杖杉

写真6 本堂

写真7 御杖杉

写真6は本堂です。この本堂は再建されたもので、その説明の碑には次のようにあります。

【本堂再建記念碑 平成7年11月吉日
 この地は 宗祖親鸞聖人並びに恵心禅尼 久住開宗の聖地なり 聖人は八百年の古 念仏停止の法難による越後流罪五年の後 当地の領主稲田九郎頼重の招待に応じこの稲田に草庵を結び給えり 爾来二十年 この草庵を本拠として 濁世の群生に阿弥陀如来の本願を伝え給う その教化に浴するもの 貴賎貧富を問わず年々に相増す 然る間 更に筆を執りて「顕浄土真実教行証文類六巻」を著わし 他力念仏の大道を明かし給い ここに浄土真宗の開闢を見るに至れり
 その後 稲田頼重(頼重房教養)の子孫代々 この聖地を護持し来るが 旧本堂の老朽化甚だしきに因り 立教開宗七百五十年記念事業として 新本堂再建を発願し 昭和五十八年より勧進を開始す かくして平成七年直門徒並びに全国信徒の協力により 目出度く新本堂の完成をみたり
 噫慶ばしき哉 如来冥加の下 全国自他有縁念仏者の聖地護持の熱き懇念を結集して高く聳ゆる精舎を仰ぐとき 万感胸に充ち満てり
 願わくば 法水彌遠く流れて末世の枯渇を潤し 大悲の名声普く十方に超え聞こえんことを 合掌
 西念寺第二十七世釋実乗 】

写真7は親鸞が杖を地に刺したら根が生えて大木になったと言う御杖杉です。明治4年に本堂と共に火災で焼けたと言うのですから、上の説明の旧本堂は、明治の再建であったようです。

御葉付き銀杏 県指定文化財の碑

写真8 御葉付き銀杏

写真9 県指定文化財の碑

本堂の前に写真8のような立派な銀杏が生えています。県指定文化財と言う事です。説明はリンク先でご覧ください。

御頂骨堂への道 太子堂

写真10 御頂骨堂への道

写真11 太子堂

本堂に向かって右手に階段(写真10)がありますが、それを上ると親鸞聖人が尊敬されたと言う聖徳太子を祭った太子堂と、御頂骨堂があります。

御頂骨堂

写真12 御頂骨堂

写真13 御頂骨堂旧跡

写真12が御頂骨堂です。説明によりますと、分骨された親鸞の遺骨が納められているのだそうです。ところが、写真10の右手草むらの中をのぞくと、写真13のような立て札がありました。【親鸞聖人御頂骨堂旧跡】とありますから、元はこの辺りにあって、いつのころか今の処に移されたようです。

守り神?

写真14 守り神? 

浄土真宗では迷信を信じませんから、写真14のキャプションは蛇足です。写真1の反対側には水田があって、その一角に小さな池があります。そこで見つけたカエルです。

筆者は、中学3年の3学期から大学入学まで、今は笠間市となった、当時の西茨城郡友部町に住んでいました。その頃は、笠間町と言う所は、もう少し遠いところのような感じがしていました。

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