境河岸 (茨城県猿島郡境町)

今回は利根川と江戸川の分流地点にある茨城県猿島郡境町を訪ねました(2013年9月14日)。ここは江戸時代物流の拠点である境河岸(さかいがし)のあったところです。今では茨城県ですが、江戸時代は対岸の関宿(千葉県野田市関宿町)城下の町人町であったため、利根川の渡し船でも知られています。

利根川水系は、関東の産物を江戸に運ぶ主要なルートで、そこここに河岸が発達しました。その全貌は、こちらの図埼玉県幸手市ホームページ内の環境課「環境ナビ」より)でよくわかります。

当時使われた「高瀬舟」を模した観光船が、境河岸から出て江戸川との分流地点まで行っていると紹介が、県や町のサイトにあったので行って見たところ、運悪く運行休止中(写真1)でした。しかし、陸に上がって整備中の舟は見る事が出来ました(写真2)。

 
写真1 境河岸高瀬舟乗船場入り口(欠航中案内) 写真2 高瀬舟(観光用)

写真1と2は、利根川の堤防上にあるのですが、ここは写真3、4のように整備されています。これは、平成5年の皇太子殿下ご成婚を記念した「歴史・文化の水辺整備事業」の一環で、境河岸の復元、川辺の散策路および桜づつみの整備、川の一里塚の整備を行ったことによるということです。

 
写真3 「境の水辺・桜づつみ」の碑と桜並木 写真4 「茨城百景大利根河畔景勝の地」の碑と常夜灯

堤防の上から利根川を眺めると、写真5のように公園のような箇所が見えます。そこが河岸のあとのようで、そのとなりに復元された高瀬舟観光船の船着き場(写真6)がありました。

    
写真5 利根川と復元された境河岸 写真6 観光船の船着き場

近寄って復元河岸を見たのが写真7です。その突端から振り返ると、写真8のように、観光船の船着き場が見えます。

 
写真7 復元境河岸 写真8 復元境河岸から見た観光船の船着き場 

すぐ近くには千葉県と茨城県を結ぶ境大橋があり(写真9、10)その茨城県側には「道の駅さかい」があります。

 
写真9 境大橋(千葉県側を望む) 写真10 境大橋の茨城県側 

さて、写真6の千葉県側中央に小さく見える物があります。これは、お城の形をした千葉県立関宿城博物館で、利根川などの水運や水防に関した展示が見られます(写真11)。

 
写真11 関宿城博物館 写真12 関宿城博物館より対岸境河岸を見る

写真12は、関宿城博物館展望台からの対岸境河岸の眺めです。

同じく展望台からはすぐに江戸川との分流地点が見えます(写真13)。写真右側が利根川で、左側に江戸川が分流しています。

このあたりは、茨城県で唯一利根川の右岸に面している五霞町です。五霞町は、東は江戸川を隔てて千葉県に、南西は、権現堂川と中川を隔てて埼玉県に、また利根川をはさんで古河市・境町に接し、四方を河川に囲まれています。このため、埼玉県幸手市との合併を望みましたが、平成16年、合併協議会を廃止しました。

この博物館の敷地には、旧建設省時代に使われていた浚渫船山王号(写真14右側)と水路浚渫機(写真14左側。水陸両用機)が展示されています。かなり珍しい展示ではないかと思います。

 
写真13 利根川と江戸川分流地点 写真14 浚渫船と浚渫機の展示

浚渫船山王号諸元(現地の説明板より)
全長8.07m、全幅4.545m、吃水0.6m、能力30m/h、最大掘削水深2.7m。昭和42年~平成元年まで現役、分割により陸上輸送も可能。
水路浚渫機諸元(同)
全長16.57m、全幅6.202m、全高3.9.4m、能力58m/h、最大掘削水深4.0m。昭和51年~平成5年まで現役。

今回も又、將門とは離れてしまいましたが、埼玉県幸手市ホームページ(市の概要>幸手市の歴史)には、「浄誓寺の境内に天慶の乱(940年)に敗れてこの地で没した平将門の首が埋められていると伝わる塚があります。高さ約3mで、時の流れを感じさせる五輪塔が置かれています。 (市指定文化財)」。と言う記述があります(リンク先中頃)。一度訪問の必要を感じます。

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