逆井城跡(猿島町)

 茨城県の西部、猿島茶の産地が、猿島郡猿島町で、茨城県指定(昭和60年3月25日)史跡「逆井城跡」がここにあります。
 面積は27,247mに及んでいます。
 

 逆井城は、飯沼(いまは干拓されて沼はない)のほとりにあったため別称「飯沼城」とも言われているそうです。
一体は公園として整備され、森の中の門や、櫓も復元されています。

 下の写真は、公園の中に立つ石碑です。

 

 猿島町教育委員会の案内板(昭和61年2月猿島町教育委員会)の記述を引用します。

【この城跡は、中世の史料や戦記ものに記されている飯沼城の一つである。記録によれば相州玉縄城主北条氏繁が天正5年(1577)10月、下総国猿島郡飯沼に新城を築くため、藤沢の大鋸引森木工助を呼ぶとある。構造は、後北条氏の様式で、土塁・空堀・横矢掛りなどをめぐらしている。現存する遺構は、本丸とこの曲輪のみであるが、当時は三の曲輪をめぐらし、500m四方の壮大な築城であった。なお、南方3.8キロの地点には出城としての駒寄城の跡が残っている。
天正3年(1575)戦国大名後北条氏(氏政)は小山城を攻略し、古河周辺を足掛かりとして関東北・東部の経営にのり出した。そしてこの城は、結城・多賀谷・宇都宮氏らへの遠攻拠点として築かれた。城の東側旧飯沼は東西約1キロ、南北およそ30キロに及ぶ大湖沼で、対岸に古間木・大生郷・尾崎と多賀谷の城を望み、絶好の前線基地であった。
城主氏繁は天正6年(1578)城中で病没し、氏舜が城代として経営に当たったが、天正18年(1590)小田原落城と共に廃城となったようである。伝説によると、天文4年(1535)、城主逆井常繁は北条氏康方の大造寺駿河守に敗れ、奥方が先祖伝来の釣鐘をかぶって、城中の池に沈んだという。
なお逆井氏は、小山氏系統の豪族で、在地領主としてこの地を館城としていたが、後北条氏の介入により現在の西坪に居館を移していたものと思われる。】

なお、第3時発掘調査で、氏繁築城以前にも、この地に城が存在したことが明らかになり、そのほか第6次調査(平成元年)では、小規模な空堀が、第7次調査(平成4年)でも古城とみられる空堀が発見されているそうです。

下の写真が「櫓門」です。
なかなかよい雰囲気を醸し出しています。当時は二階門と呼ばれており、
土塁の柱跡と雨落ち溝の痕跡により復元したものだそうです。

  

 しばらく、タイムスリップして、当時を満喫してください。

 

右側の建物が二層櫓です。二層三階の物見櫓で、大手虎口を防御するためのものであるといわれます。

左側の塔は井楼矢倉といわれ、見張りの指令のほか、石・火矢の発射台として利用された戦闘目的の建物だそうです。

 

 

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