芝丸山古墳 (東京都港区)

今回も将門関連とは少し異なる史跡を訪ねてきました。東京都港区にある「芝丸山古墳」です。東京都内にある,数少ない登ることのできる古墳の内の1つです。最寄りの駅は都営地下鉄三田線「芝公園」なのでしょうが,あえてJR「浜松町」(写真1)で下車し,歩くことにしました。北口から出て遠くに東京タワーを見ながら歩くこと十分ほど,増上寺の「大門」があります。(写真2)

写真1 JR浜松町駅北口(2018年6月17日撮影) 写真2 芝大門(2018年6月17日撮影)

日比谷通りを横断して突き当たりが増上寺の山門(写真3)ですが,そこを左に曲がって少し行きます。そこが芝公園です。(写真4)

写真3 芝増上寺山門(2018年6月17日撮影) 写真4 芝公園(2018年6月17日撮影)

芝公園は,もともとは増上寺の境内だそうですが,現在では都立芝公園と港区立芝公園の総称だといいます。写真4のこんもりとした森の右側が芝丸山古墳,左側が芝東照宮です。

写真5 芝東照宮拝殿(2018年6月17日撮影) 写真6 芝東照宮大銀杏(2018年6月17日撮影)

Wikipediaによれば,芝東照宮の祭神は徳川家康,神体は徳川家康寿像,旧社格は郷社,日光東照宮,久能山東照宮,上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる,ということです。写真5が拝殿です。
また,境内にある大銀杏は,昭和31年(1956年)東京都指定天然記念物で,徳川家光が植樹したと伝えられるといいます。昭和5年(1930年)より昭和27年(1952年)までは文部省指定であったが,文化財保護法の改正により指定解除となったのだそうです。(写真6)

写真7 芝丸山古墳後円部(2018年6月17日撮影)

さて,芝丸山古墳です。写真7は後円部を見上げたものです。この古墳は,東京都文化財情報データベースによれば,次の通りです。

芝丸山古墳
種別 都指定 史跡
所在区市町村 港区
指定年月日 大正14年6月6日 仮指定
昭和27年4月1日  史跡指定
昭和30年3月28日 旧跡指定
昭和54年3月31日 種別変更
所有者  東京都(建設局)
      宗教法人 増上寺
解説文
 芝丸山古墳は、都内最大級の規模をもつ前方後円墳です。芝公園の台地の先端部、標高約16mに立地しています。前方部を南々西に向け、その規模は、全長106m前後、後円部径約64m、前方部前端幅約40m、くびれ部幅約22mです。
 江戸時代以降に改変が加えられており、明治31年(1898)に、日本考古学の先駆者である東京帝国大学の坪井正五郎博士によって調査されましたが、すでに墳頂部(ふんちょうぶ)は削られ、後円部中央に位置していたと考えられる主体部(埋葬施設)は失われていました。また、埴輪(はにわ)を伴うこと以外は遺体や副葬品なども明らかになりませんでした。
 その後、西側及び北側が大きく削られ、本古墳の西側に存在した数基の円墳は台地とともに削られてしまいました。
 前方部が狭く低い形態であることや占地状態などから5世紀代の築造とみられています。古墳が築かれた当時、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた南武蔵有数の豪族の墓だったと考えられます。

写真8 芝丸山古墳後円部上(2018年6月17日撮影) 写真9 伊能忠敬測地遺功表(2018年6月17日撮影)

後円部に上ってみます。(写真8)
何もないひろばのようですが,端部に「伊能忠敬測地遺功表」があります。(写真9)【伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てました。明治22年に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建されました。】(公益財団法人東京都公園協会のサイトより引用)もう少し詳しい説明はこちら(J-STAGEのサイト)にあります。

写真10 虎の像(2018年6月17日撮影) 写真11 説明板(2018年6月17日撮影)

後円部から前方部に降りてみます。(写真10)ここにも何やら虎の碑がありますが,今回の訪問とはあまり関係がなさそうなので省略します。
前方部から降りたところに説明板があります(写真11)。こちらが登り口なのかも知れません。

写真12 芝丸山古墳全景(2018年6月17日撮影)

少し離れた箇所からの全景です(写真12)。左手が前方部,右手が後円部,中央が円山随身稲荷です。左手奥に写真11の説明板が見えます。

今回は,ただ行ってきた,というだけのようでした。

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