愛宕神社・白山神社(茨城県取手市)

新四国八十八カ所相馬霊場(茨城県取手市・千葉県我孫子市・柏市)その1

今回は平将門伝説を少し離れてみます。

北相馬の地を歩いて古い神社仏閣に立ち寄ると、「新四国第○○番」などと掘られた石標と小さなお堂があることに気がつきます。
これまで、主として平将門伝説を念頭にこの欄を構成してきましたので、撮った写真の中にそうしたお堂があっても、掲載することはなく済ませてきました。
しかし、「常総散策」ですから、散策の途上で出会ったものは、整理しておきたいと思い、今会はその第1回としてみました。

新四国八十八カ所相馬霊場巡りのサイトは、ちょっと検索してみただけでもすぐにいくつか見つかりますから、専門的にはそちらをご覧ください。また、「取手市観光協会」のサイト内のページにもこのようにあります。以下の記述には大いに参考にさせていただきました。
また、写真の時期は、前述の様な訳で、これまで撮ったものから選び出していますので、ばらばらですから、現状では必ずしも同一とは限りません。

国道6号線大利根橋 愛宕神社鳥居

写真1 国道6号線大利根橋

写真2 愛宕神社鳥居

写真1は、国道6号線が利根川を渡る大利根橋を茨城県側から見たものです。右側に鳥居が見えますが、それが写真2の鳥居で、この神社を愛宕神社といいます。
まんざら平将門と縁がないわけではないらしく、「関東中心平将門伝説の旅(茨城)」(稲葉嶽男編著・昭和62年)には県神社誌を引用して
【元禄十五年九月、天迦具土命を鎮祭。元大鹿村に居住の平将門の後裔大鹿氏の一門七十余戸の鎮守であった。寛文年間、水戸街道開通により元禄八年から同十四年の間に大鹿から当地へ移転を余儀なくされたという。大鹿城跡周辺の元屋敷、仲間台、添弁天の妙見、稲荷、天神も移転して当社に祀った】
とあります。
ここで、大鹿村とはいま取手競輪場のあるあたりの様で、競輪場の高台は大鹿城址とされています。元禄八年は1695年に当たります。
この移転話は、本サイトの長禅寺の回でも触れられていますから、相当大がかりな工事であったようです。
愛宕神社 新四国第八十七番

写真3 愛宕神社

写真4 新四国第八十七番

そもそも愛宕神社とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社が総本社で、火防の神が祀られているとされています。日本中あちこちでお目に掛かります。我が守谷市にも、このように鎮座しています
この神社に、写真4のように「新四国第八十七番」があります。これが相馬霊場の一つです。ちなみに先の長禅寺には二カ所(一番と八十八番)あり、観覚光音禅師が開基した新四国相馬霊場八十八ヶ所の発願・結願寺でもあります。


さて、大利根橋から取手市内に入ってすぐ競輪場の方に左折すると、「常総ふれあい道路」です。市街地を抜けると左側はゴルフ場ですが、右側には野々井中学校が見えます。
このあたり野々井の集落に白山神社が祀られています。写真5がその鳥居です。この神社には本能寺城という城跡の言い伝えが残っていると、「取手市史」にあります。

白山神社遠望 白山神社境内

写真5 白山神社遠望  

写真6 白山神社境内

写真5から受ける印象とは異なり、境内に入ってみると、実に立派な本殿(写真7、8)が見えてきます。
境内には次のような説明板があります。
「市指定文化財 白山神社
この神社は、養老二年(七一八)に創建され、御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊はじめ七柱の神を祀られ、本殿には白山姫尊と十一面観世音菩薩像も安置されている。
本殿は一間社流れ造りで、三方には支那(中国)二十四孝の物語を伝える彩色の彫刻が施され、その昔当地区の祖長塚民部、長束兵部、長束刑部の三兄弟が加賀国(石川県)白山より勧請したと伝えられ、由緒ある神社として古くから住民の尊崇をあつめている。
例祭は一月と九月の年二回奉斎されるが、一月十七日の「オビシャ」には「魚ふるい」と言う珍しい行事が催されている。
昭和五十七年二月指定 取手市教育委員会」
これによれば、将門の時代よりさらに古いことになります。

社殿1 社殿2

写真7 社殿1

写真8 社殿2

全体にかなり新しく感じられるのは「白山神社社殿竣功記念」碑に説明があります。
これによれば「本殿は寛延二年(一七四七)に、拝殿は宝暦三年(一七五三)の建築が棟札により確認」されているが、老朽化が激しいため、「平成十六年」「白山神社造営奉賛委員会」が結成され「拝殿および本殿覆屋の改修事業」が行われ、平成二十一年九月に現在見る形になったと言うことです。

写真7後方が本殿覆屋のようです。写真8は拝殿正面です。

写真9 旧社殿屋根の一部?

写真10 社殿3

境内には写真9のような屋根の一部がおいてあります。以前訪問した山梨県の恵林寺にもこうした古いものが保管してありました。何か曰く因縁があるのでしょうか。
写真10は真新しい彫刻です。

土塁あるいは空堀 五輪塔

写真11 土塁あるいは空堀

写真12 五輪塔

先の「本能寺城」とは、「堀之内」の転訛したものといわれているそうで、周囲を巡るとなるほど城の様な土塁を思わせる地形があります。
写真10などは、こちらのサイト(「永蔵寺薬師堂」)の写真4に似ています。

さて、本欄のテーマである新四国八十八カ所相馬霊場巡りです。ここは六十二番です。

新四国第六十二番 新四国第六十二番の碑

写真13 新四国第六十二番

写真14 新四国第六十二番の碑

新四国八十八カ所相馬霊場は、たいていお寺やお堂にあるのですが、以上の二カ所は神社にあります(ほかにもあります)。

新しく育つ

写真15 新しく育つ

枯れて朽ちた大木から、新しい芽が出てもうこんなに大きくなりました。境内の風景です。

しかし、このペースでは、八十八カ所を巡り終わるのはいつになるやら判りません。ゆっくりと行きましょう。

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