七人将門の墓

 山梨県大月市を訪問した回でも触れましたが、平将門には7人の影武者がいた伝承は広く知られています。
 茨城県守谷町高野字仲坪、守谷町立高野小学校となりにある大雄山海禅寺には平将門とその影武者のものと伝えられるお墓と位牌があります。位牌には、「平親皇将門公 当山開基 徳怡廉三大禅定門 尊像」との文字があるそうです。

 これが海禅寺の現在の姿です。
 このお寺は伝承によれば、将門が、前前回にご紹介した守谷城を築いたとき、紀州高野山に類似の地形(高野は古く荒野といい、侵食によって台地から切り離されて島状になっています)を求めて承平元年(
931)建立したとされています。
 このお寺は、将門の子孫と称する相馬氏の菩提寺で、多くの関係位牌や墓石があります。
そのお墓のうち下の写真が、七人の影武者と将門の墓といわれているものです。

 いろいろな形のお墓が8基整然と並び、向かって右端にひときわ大きな墓が一基あります。これが将門の墓と言われているものです。

 近くに寄ってみれば、このようにはっきりと「平親王塔」という文字が読めます。
 将門のお墓はいろいろなところにありますが、ここには何が祭られているのでしょうか。
 「守谷町史」によれば、「墓はその様式から推定して、江戸時代に造られたものとみられるが、その中の一基は、室町様式と考えられる。また、将門の位牌も江戸時代の作とみられる。」とあります。やはり当然ですが、後世のものであるようです。

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