諏訪の水穴

少し遅くなりましたが,あけましておめでとうございます.本年も,ご一緒に小さなたびを続けましょう.

さて,常総の地も北に行くと将門とはあまりご縁が無くなってきますが,本日は少し変わったところへ.
これは,史跡というより「天然記念物」なのです.茨城県日立市諏訪町大平田にある「諏訪の水穴」です.

入り口

写真では良くわからないのですが,右のほう一段と暗い部分が,「諏訪の水穴」入り口です.
この水穴は,いわゆる鍾乳洞です.雨水や地下水が石灰岩を溶食して生じたもので,洞内には鍾乳石や石筍があったり,こうもりなども生息していたといわれているそうです.穴の中からは清水が出,手前の鮎川に流れています.


近寄ってみてもあまり様子はわかりません.

 


石碑

鮎川の右岸(水穴の対岸)には,このような石碑と説明板があります.以下に引用します.


【諏訪の水穴(神仙洞)は,ここ諏訪町大平田にあり,普賢ヶ嶽の麓,緑豊かな木々に覆われた清水湧き出る鍾乳洞です.
この水穴には,遠い昔,信州(長野県)諏訪大社の御分霊をこの諏訪の地に祀られた神官万年太夫藤原の高利夫妻が自分の木像を造り諏訪神社に納めて水穴に入り,再び帰らなかったという伝説があります.
また,水戸黄門徳川光圀公もこの水穴に入り洞の狭くなった三の戸に「これより奥には入らぬように」と記されたとも伝えられています.
その後,水戸藩の学者や文人が訪れ,名勝として紹介してくれましたので,広く世に知られるようになりました.
ところが,戦後,下流に砂防ダムが設置され,水穴は,砂利で埋没し,三十年もの間,昔の面影を失っておりました.(後略)
昭和五十七年四月十八日
環境を守る日立市民会議・諏訪の水穴復元記念協賛会】
ここに記された伝説は,建長年間(1249〜1255年)といわれ,文中の木像は現在に残っているそうです.
しかし,なぜ「諏訪の水穴」なのでしょうか.
この言葉の元になっている「諏訪信仰」は,長野県諏訪にある諏訪大社上・下社を中心として民間にひろまっている信仰です.
古くは竜神あるいは霊蛇の信仰であったとされていますが,,鎌倉時代になると,これを氏神と仰ぐ諏訪氏が武士団を形成し,武家社会一般の間に軍神としての諏訪信仰が成立しました.
ことに坂上田村麻呂をみちびいて蝦夷(えぞ)を平定したという信仰は,《諏方大明神画詞》にもみえています.
これに伴って,関東・奥羽の豪族には諏訪神社をその領地に勧請するものが多く,東北地方や九州などには鎌倉御家人がまつりはじめた諏訪社が少なくないといいます.
近世には,農作物の害獣を駆除し豊作を祈る神としての信仰も成立したようです.
というわけで,この地に誰かそうした人々がかつて訪れたことの痕跡という次第です.
ちなみに,この穴に入った人によれば(今でも入れるのかどうか不明.危険と書いてある)奥行きは50m程で,水中に没しているとのことです.

 

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