大宝城跡

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うっそうとした森の中に鳥居があります。ここは茨城県下妻市。この神社は大宝八幡宮といい、関東最古の八幡宮で大宝元年(701年)、藤原時忠公が筑紫の宇佐八幡宮を勧請創建したのがはじまりといわれています。平将門も戦勝祈願にたびたび参拝したそうです。
つい先日1300年祭が行われ、流鏑馬なども復活しました。私が訪問したときはまだその余韻が残っているようでした。
写真右側が大きく盛り上がった土塁になっています。ここは、数回ご案内してきた南北朝時代、前回の関城と呼応して戦われた大宝城跡でもあります。

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あちこちに残る土塁と「大宝城跡」の標識が見えます。
大宝城は、社務所の案内板によると、1086年(応徳3年)「下津間盛幹公が初代城主となり、約百年後四代下津間弘幹公にして下津間氏は終りを告げた。」とあります。1232年(貞永元年)に下野の小山氏一族の下妻長政が城を築いてから、小山氏は代々下妻氏を名乗ります。4代目の政泰は小田城の小田治久、関城の関宗祐、伊佐城の伊達行朝、志築城の益戸国行、駒城の中御門実寛、真壁城の真壁幹重らと共に常陸における南朝方の中心勢力として、小田城に拠る興良親王や北畠親房、春日顕国らを守っていました。
境内にもあります。

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この案内板は1996年(平成8年)3月に下妻市教育委員会が設置したものですが、その説明を引用させてもらいます。
【国指定文化財 史跡 大宝城跡 指定年月日昭和951日 所在地下妻市大字大宝

監理者下妻市 
平安時代から南北朝時代にかけてあった城跡。西、北、および東方の一部を旧大宝沼に囲まれた台地の自然の地形を利用して造築された城郭であり、東方も古い時代は沼か湿地であったと思われるから三北断崖に面した要害の地であった。東西
288メートル・南北576メートルで台地の北方を本丸、南方を大手、東を搦手とした。134124)年11月、が親王を奉じて小田城よりここに移ってから、東国における南朝方の拠点となった。その後、北朝方の猛攻をうけて苦戦を続け、食糧不足と城内不和のため、1343(興国42)年1112日落城、城主下妻政泰は討死した。
城跡は大宝八幡宮の境内として今にその面影を留どめている。八幡宮裏に
1931(昭和6)年5月建立の「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑と、1943(昭和18)年11月の「下妻政泰公碑」が建っている。】
それでは、中に入って見ましょう。

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立派な山門の奥に現在の本殿があります。写真にはありませんがこのまた奥に国指定重要文化財(指定:明治39414日)大宝八幡宮本殿があります。

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こんなものもありました。これはおまけ。

 

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