永蔵寺薬師堂

2001年に戸頭神社を訪れています。また、将門とは時代が大きく異なりますが戸頭団地の中の飛行船殉難碑もご紹介しています。このころは勉強も不足しており、単に目についた場所を見に行くだけでした。すこし視点を変えながら再度歩いてみようと思います。

取手駅前から延びる「常総ふれあい道路」は、国道294号の実質上のバイパスとして戸頭団地の南を通っています。1987年(昭和62年)の開通で、写真1は、戸頭中学校のところにある横断歩道橋から取手方面を望んだものです。左手が戸頭中学校グランドです。写真右手に折れると旧戸頭村方面です。このあたりは、現在では戸頭1丁目となっています。写真2は、同じところから守谷方面を見たものです。

写真1 ふれあい道路1

写真2 ふれあい道路2

この「ふれあい道路」は、順調に開通したわけではなく、私がこの地に着てしばらくは工事中のまま未開通でした。
そのころの写真1の一番奥のあたり(茶色の建物は病院で、その先が戸頭団地1丁目の建物です)は、まだ開通していない山林で、写真2、3のような風景でした。写真が古い(撮影1981年)のでピントが甘いのですが、写真3の中央が戸頭団地1丁目の建物です。この当時は入居しておらず、「マムシ注意」の看板などがありました。写真3の左手の木の根元に石塔があります。それが写真4です。たしか、大日塚と言ったような記憶があります。

写真3 ふれあい道路工事中(1981年)

写真4 大日塚古墳(?)(1981年)

もし、この記憶が正しいとすれば、「平将門伝説」(村上春樹著2001年汲古書院)240ページにある【大日塚 取手市戸頭 平将門の戦いで、この地を守って死んだ五人を祀ったという。】に、当たるのではないかと思います。「取手市郷土資料写真集」(取手市教育委員会昭和47年)67ページにそれらしい写真があります。【応安五年辰十月十七日】という碑文があったそうです。応安は北朝の年号で五年は1372年ですから、将門時代とはずいぶん離れていますが。

さて、ふれあい道路から南に入り、戸頭神社に向かう途中、写真5、6のようなお堂があります。永蔵寺薬師堂です。(写真6は、巨木(市指定1号)を入れようとして縦にしました。写真が小さくなって逆効果だったかもしれません。巨木と言えば写真8の門前のものも立派でした)

写真5 永蔵寺薬師堂1

写真6 永蔵寺薬師堂2

「平将門伝説」には、【永蔵寺 取手市戸頭 この寺の薬師堂には、平将門の守り本尊と伝える薬師如来像がある】とあります。新しく見える石碑(写真7右側)には「由緒」とあって、「京都清水寺学頭延昌慈念僧正天慶四年山門座主」や「本尊薬師如来を安置シ相馬小次郎将門守護佛ト申シ伝フ作者不明」などの文字が見えます。その他、御朱印地であった石高なども刻んであります。

写真7 永蔵寺薬師堂3

写真8 永蔵寺薬師堂4

境内にはかなり古い石塔や石碑があります。

写真9 永蔵寺薬師堂5

写真10 永蔵寺薬師堂6

ここから利根川の方に向かっていくと戸頭神社です。前回はふれませんでしたが、神社入り口には写真11の道路元標(大正十四年建立銘)があります。また、以前は七里の渡しへ行く道であったろう坂の手前が三差路(写真12)になっており、カーブミラーの下に写真13のような道票があります。

写真11 道路元標

写真12 三差路

写真13では全く読めませんが、この面には、一番上に左向きの矢印があり【野々井稲ヲ経テ取手町ニ至ル】とあります。その下にも何か文字があるようですが読めません。また向かって右側の面には【戸頭渡船場ヲ経て千葉縣ニ至ル】(やはり下側が読めません)とあります。ほかの面には稲戸井村青年会が昭和六年四月建立などの文字があります。
右へ下って利根川堤防まで行き、振り返ったのが写真14です。現在では利根川水面まではかなり遠いので、今回はここまでで引き返し、三差路を稲の方に向かいます。ちなみに現在このあたりは稲戸井調整池となっています。

写真13 道標

写真14 渡しの辺りか?

実は、戸頭から取手まで歩こうと思いついたのは、「取手市史余禄創刊号」(取手市史編纂委員会昭和52年)の「佐倉道」(飯塚左右ニ)を読んだからなのですが、これは国道294号を北へ南へ辿るため、後回しにしてしまいました。それでも、道はつながっているので、その一部も通過します。

写真15 藤から地蔵1

写真16 藤から地蔵2

写真15は、左方向が国道294号東京鉄骨への入口踏切(今、大規模な宅地造成をしている)、右方向が惣代八幡神社方面で、複雑な六差路(七差路?)のところにあるお地蔵さん「藤から地蔵尊」です。「取手市観光アートガイドブック」(平成20年4月)には【お地蔵さんの脇に松の大木があり、その松に藤の枝がからまっていたので】そう呼ばれるようになり【「佐倉道(さくらみち)という、水戸街道より古くからある道に面しています。】とあります。写真16の左側にある白い柱には【旧街道の守り神、六又地蔵とも言い七つの方向の道の真中にある。】と書いてあります。
この写真には入っていませんが別の石碑もあり【新四国大師道】ともあります。その名のとおり、このあたりには「四国第○○番」というお堂が数多く点在しています。四国までいかずにそれぞれ委嘱されたこの地のお寺をめぐれば、お遍路さんのご利益があるというわけです。詳しくはこちらをどうぞ。

このあたりの風景は非常に古さを残しているようで気持ちが安らぐのですが、同じ様な幅の道路が曲がりくねっていくつもあるだけに、すぐ迷ってしまいます。
おそらく、先の「佐倉道」にある道標の場所かと思われますが、(左側が佐倉道か?)石の文字が良く読めなかったので、このあたりの単なる風景として写真17を掲載します。

写真17 佐倉道道標?

いろいろ神社仏閣はありますが、あまり将門に関連のないところに寄り道してもいけませんので、相馬惣代八幡宮に行き着いたところで今回は終わりとします。リンク先は1999年の様子、写真18、19は最近の様子です。

写真18 相馬惣代八幡宮1

写真19 相馬惣代八幡宮2

最後に1979年当時の写真を載せておきます。例によって、古いので、お見苦しいのはご容赦ください。写真22は、1979年当時の説明板です。 

写真20 相馬惣代八幡宮1979年1

写真21 相馬惣代八幡宮1979年2

写真22 相馬惣代八幡宮1979年3

もっとも、これでは主題と違い戸頭から稲を通りこし、寺田の惣代八幡宮まで来てしまいました。

 

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