上野から常磐線で利根川の鉄橋を渡ると茨城県の玄関口、取手市です。このシリーズでも何度か登場させました。将門の伝説と史跡では欠かせないまちですが、その他に、「一筆啓上火の用心、おせん泣かすな馬肥やせ」で有名な本田作左衛門の墓もあります。最近駅前の大手スーパーが閉店して、
20年かかった再開発に水をさしています。常磐線取手駅で関東鉄道常総線に乗り換え約
15分で「戸頭」という駅に着きます。ここには都市整備公団の「戸頭団地」が駅前に大きく広がっています。何回か前に(1999年7月26日アップ)「飛行船遭難」のテーマでお話した団地です。今回はその戸頭団地を南に通り抜け、「ふれあい道路」をわたって戸頭の旧集落に向かいます。ここ戸頭は昔藺沼(いぬま:藺=
イグサ,茎を畳表や花むしろの材料とするために栽培もするイグサ科の多年草。茎の髄を灯心として利用したところからトウシンソウの名もある。)と呼ばれた低地に突出した台地で、ここから利根川を渡り対岸の(千葉県柏市)布施や根戸にいたる渡し(七里の渡し)のあった水上交通の要衝です。昔は宿屋も何件かあって栄えていたといわれます。ここに、戸頭神社があります。「北相馬郡志」に「地理志料云、戸頭者津頭也、疑古駅址、観応二年(
1351年)、足利尊氏、奉戸頭郷於香取神宮云々」とあります。この地方は足利尊氏の所領であったため(千葉県)佐原の香取神社をもっとも重視し、下総一宮に寄進して創建されたのだそうです。「香取文書」には観応三年七月とありますが。利根川を利用すれば佐原への交通も至極便利であったと思われます。この写真は利根川にかかる「新大利根橋」の対岸側から利根川と戸頭神社の森を望んだものです。中央よりやや左の位置です。すぐ隣にマンションがあります。右の白いものは水門です。