土浦(亀城など)

水戸街道(陸前浜街道)は、以前このページでも少し触れました。
現代の地名で言えば、取手から竜ヶ崎、牛久と北上して次は土浦です。この街道は、中高津あたりから国道6号線を離れて桜川をわたり土浦市の中心部に入っていきます。
常磐線土浦駅は、この街道より少し東にあります。この駅で西口に降り、メインストリートを歩いてみましょう。

  

 降りてすぐに超高層のビルがありメインストリートが脇を通っています。写真正面が駅です。日曜日の昼間にしては行き交う車両が少ない気がします。
 

   

  途中には、閉鎖されたホテルや、正面が空き地になった古い蔵などが見えます。

  しばらく行くと、旧水戸街道と交差しています。この街道のこのあたりは、土浦の商業の発祥地で、「中城通り」と言います。曲がってみると、下のような風景が出現しました。
 

 

     

 中には、「まちかど蔵」という看板で営業しているところもあります。数人の観光客らしき人が、蔵をバックに写真を撮っていました。
 このあたりは、天保年間の旧商家土蔵建築物が保存修復されて、県指定文化財の建物もあります。
 なかなかよい風情なのですが、学校が夏休みで日曜日の昼間にしては人通りが寂しい限りです。
 上下の写真でわかるとおり、電柱や電線がそのままで、整備は今一歩という感じなのが残念です。

 

 

  

 

  また、メイン通りに戻って少し行くと、公園があります。
 これが、土浦城の跡、「亀城公園」です。

   

 公園の中に、説明板がありましたので、それを引用します。

【土浦城跡及び櫓門:県指定史跡第一号(昭和27年(1952年)11月18日)

土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らした壕を固めとする水城でもあった。城は、城跡に指定されている本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ壕で囲む総構えの規模を持つものであった。
江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。
戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷したが、織豊期には結城秀康の支配下に入った。江戸時代の城主は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平(大河内)氏と変わったが、土屋政直が再び入場して、以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。
明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに亀城公園となっている。】

 では、もう少し見てみましょう。           

                   

 亀城らしく、亀も泳いでいました。

                                      

 

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