筑波山 (茨城県つくば市)

平將門で忘れてはいけない地が、関東の名山筑波山ですが、どうしたことか今まで記事にしていませんでした。今回訪ねた日(2015年4月14日)は、あいにく雨模様で、頂上までは行けませんでしたが、筑波山神社を視て、ケーブルカーで山頂駅まで行ってきました。

筑波山については多くの書籍があり、小説などでは筑波山の嬥歌(かがい)が將門伝説とのつながりとなっています。また筑波山の周辺には將門記に登場する地名が多くあります。しかしながら、筑波山そのものについては、漠としています。『平將門伝説』(村上春樹著 汲古書院)の「第三章將門伝説の分布」にも、「筑波修験 つくば市筑波山 筑波山の修験者一党は、平将門軍に加わって戦い、首領の石念は六十九歳で、壮烈な戦死を遂げたという。」とあるのみです。

なにはともあれ登って見ましょう。写真1はつくばバイパスから見た筑波山です。中央は桜川の堤防です。

 
写真1 筑波山(2015年4月14日撮影) 写真2 筑波山神社の碑(2015年4月14日撮影)

当日は平日でしかも写真1のような天候ですから観光客も少なく、土産物屋さんなどは閑散としていました。写真2は筑波山神社入り口にある石碑です。

筑波山神社は、実は明冶の廃仏毀釈で神社のみとなったもので、それ以前は神仏混交であったといいます。古くは『延喜式』神明帳に、「筑波山神社は男女二神のうち、一方が名神大社、一方が名神小社の資格を付与されていたそうです。平安時代になると仏教が入り、寺院が建立されのちに中善寺と称されました。【関東の名山筑波山 筑波山神社案内記(筑波山神社発行 平成20年3月4日)による。以下同じ】

 
写真3 神橋(2015年4月14日撮影) 写真4 隨神門(2015年4月14日撮影)

写真3の神橋は寛永10年(1633年)の造立で、春秋の御座替祭(4月1日、11月1日)と年越祭(2月10・11日)のみ参拝者の通行が許可されます。
写真4の隨神門は、中善寺時代は仁王門で、神橋と同じく寛永10年に建てられたものは宝暦4年(1754年)に焼失、再建されたがさらに明和4年(1767年)に焼失しました。現在の門は文化8年(1811年)、下野国芳賀郡千本郷の大工、長野万右衛門、数右衛門の作であると言います。作料156両、扶持米50石での請負と前掲書にあります。茨城県隨一の規模であるそうです。

この隨神門には、奥の拝殿に向かって左側に倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の像を安置していますが、そのスタイルは埴輪の武人像のようです。写真4でもかすかにうかがえます。

 
写真5 拝殿①(2015年4月14日撮影) 写真6 拝殿②(2015年4月14日撮影) 

写真5が拝殿正面です。筑波山神社は山そのものがご神体ですから、本殿は男体山と女体山の山頂あります。この拝殿は明冶8年(1875年)に最初建てられ、昭和3年(1928年)に造築改修されたものです。

 
写真7 朝日稲荷神社(出世稲荷)(2015年4月14日撮影) 写真8 拝殿より隨神門を臨む(2015年4月14日撮影) 

荘厳な拝殿の裏手に、写真7の朝日稲荷神社があります。数多くの摂社・末社のうちのひとつで「出世稲荷」と言われていますが、前掲書には記載がありません。さて、振り返ってみると写真8のように霧がでてきましたし雨も降ってきました。ここで引き返すのもなんだかもったいないので、もう少し進んでみます。

 
写真9 平将門公史跡看板(2015年4月14日撮影) 写真10 ケーブルカー(2015年4月14日撮影)

筑波山にはロープウエイとケーブルカーがありますが、筑波山神社の横をいく登山道の方はケーブルカーです。駅に行く長い階段の途中、登山道と別れる箇所に写真9の看板がありました。下の方は隠れて見えませんが覗くと「嬥歌の地」とあります。具体的な遺物などはやはりないのだろうと思います。

写真10はケーブルカーの駅です。ほとんど貸し切り状態でした。

 
写真11 山頂駅附近(2015年4月14日撮影) 写真12 晴れた日の眺め(1985年頃)

ケーブルカーで登山するときは、山頂駅で男体山女体山の中央平坦なところに降り、あとは徒歩で登るのですが、この日は写真11のような具合で、しかも然るべき装備もないのでここまでにしました。筑波山には子どもの頃から何度も登っているので、それらのとき撮影した一枚を写真12に掲載します。これは霞ヶ浦方面を眺めたもので、写真中央やや左手にロープウエイの駅が見えています。

 
写真13 つくば道(2015年4月14日撮影) 写真14 筑波山郵便局(2015年4月14日撮影)

筑波山へはケーブルカーなどの方法だけでなく、徒歩で登るルートもいくつかあります。そのうち最もポピュラーなものは、北条地区から筑波山神社までつながる「つくば道」です。
写真13はその終点近くで、急な坂道と階段で構成されていることがわかります。
この「つくば道」は3代将軍徳川家光が筑波山神社を作るための資材運搬用の道として整備したもので、その後参道として使われています。
現在では、近隣の方のためにか、車が通れる道も整備されています。その脇の「筑波山郵便局」(写真14)で聞いたところ、通れることは通れますが慣れていない方は止めた方が良いですといわれました。

ということで、晴れていなかったのは残念でしたが、トップページに茨城県フラワーパーク(石岡市)側からの晴れている筑波山の写真を掲載しましたのでご覧ください。

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