聖徳寺と光明院(つくばみらい市)
今回は、平将門がほんの一瞬しか登場しません。お見逃しのないように。
守谷市のお隣、つくばみらい市は、旧伊奈町と旧谷和原村が平成18年3月27日合併してできた市です。
鉄道で言えば、我らが関東鉄道常総線の新守谷駅の次が小絹駅で、常総ニュータウンの入口です。また守谷からのつくばエクスプレスの駅で言えば、一つつくば寄りに、みらい平ら駅があります。二つの駅とも旧谷和原村内にあります。
ということで、今回は旧谷和原村に行ってきました。灯台元暗し、随分と古くて立派なお寺があります。とはいえその一つ、平将門と関連の深いと思われる禅福寺はすでにこちらで訪問していますので、そのほかとなります。
国道294号を取手から下妻方面に向かい、小絹駅入り口の次の信号を右折します。谷原大橋で小貝川を渡ると、すぐ「鬼長」という信号で、そこから二つ目、信じられないくらいの細い道を右折すると、左側に聖徳寺があります。
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写真1 聖徳寺 |
写真2 寺碑 |
写真1は、聖徳寺の山門を正面から撮影しましたが、先の道順ではちょうど山門に平行な道路に入ることになります。写真2は、山門の脇に建っている碑です。写真では読めないのですが、上段に2行【聖徳太子建立 親鸞聖人遺跡】下に1行【聖徳寺】とあります。裏を見ると、どなたか檀家の方が建立したようですが、由来などは上の方でもあり、ちょっと読めませんでした。
このお寺は、大正2年発行「常総鐵道名勝案内」の「小絹」のところに、【聖徳寺(小貝川を隔て、東二十町)筑波郡長崎村大字鬼長(をにおさ)にあり、眞宗の名院にして眞念上人の開基なり。】とありましたので、訪問しようと思い立ったわけです。
なお、「常総鐵道名勝案内」については、別の連載を計画しています。いつになるか分かりませんが、その節は、本欄同様ご愛読いただければ幸いです。
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写真3 本堂 1 |
写真4 本堂 2 |
さて、写真3以下でお分かりのように、本堂はかなり新しく、その意味ではいつものように私としての興味はないのですが、ここでもう少し調べてみようと思い、「谷和原の歴史 通史編」(谷和原村 平成15年3月)と、「図説谷和原の歴史」(谷和原村 平成11年3月)に目を通してみました。
記述がこの聖徳寺に限っては「図説」の方が判り易かったので引用してみます。
【聖徳寺は聖徳太子の創建で、平将門の乱に際し朱雀天皇による反乱調伏の勅願が出された、とも伝えられている古刹である。またこの寺院には、親鸞が布教のため三か月あまり滞在したという話もある。はじめ洞坂(西ノ台)に建てられていたが、戦国時代の戦乱で焼失した後に、現在の地に再建されたという。一時は脇寺三か寺をもったとの記録もあり、阿弥陀如来像を本尊とする浄土真宗の寺院である。】(122〜123ページ)
なお「通史編」で補足すれば、開基は大永2年(1522年:筆者)ごろ、山号は正龍山宝蔵院報恩寺(江戸)末寺、朱印地27石、除地2長1反。焼失したのは【戦国期の元亀二年(一五七一)、下妻地方を支配した多賀谷正経らの攻撃にあって】(386ページ)のことであるとされています。
常総の地で、少しでも古いお寺や神社は、何らかの形で平将門のことを言い伝えているということのようです。
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写真5 本堂 3 |
写真6 鐘楼 |
写真5から写真8までは、古そうなたたずまいであったので撮影してきました。
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写真7 山門のアップ |
写真8 お堂?(写真1の右側の建物) |
さて、先の「谷和原の歴史 通史編」を読んでいましたら、次のような記述がありました。
寺院の詳細については【残念ながら史料が散逸し(中略)知ることは出来ない。これに対して西楢戸の光明院については、天保十二年六月の「御改分限書上帳」(光明院所蔵)に、末寺の様子なども含めて詳細な記録がある。】(384ページ)とあります。
という事なので、本欄の趣旨とは少し外れますが寄り道をしてきました。
谷原大橋で小貝川を渡った道まで戻り、そのまま東進します。つくばみらい市谷和原庁舎(旧谷和原村役場)を過ぎ、古川の交差点を過ぎてしばらく行くと、道路は台地に上がっていきます。その上がり口に光明院があります。
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写真8 光明院入り口 |
写真9 山門 |
写真8の右手がその道路です。階段を上った様子が写真9です。なるほど、かなり立派に見えます。
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写真10 光明院本堂 |
写真11 鐘楼など |
引用を続けます。
【光明院は廣厳山音樹寺光明院と称し、(中略)上野寛永寺の直末寺であった。朱印地はないが、三代将軍家光に仕えた、寛永寺の僧天海の弟子、行尊によって開かれた。現在寺には、寛永十三年(一六三六)九月三日付の「武州東叡山直末令補任自今以後續本寺之法流可法度守者也」と記された朱印状が残されている。】(384ページ)
【本尊は秘仏の薬師如来立像で、脇仏に日光と月光の両菩薩を安置し、本堂には十二神将像をはじめ、見事な欄間彫刻が残されている。】(385ページ)
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写真12 境内より水海道方面を望む |
というわけで、こちらのお寺の歴史は少々新しく、将門とはかなり関係が薄く(というか、ない)なってきていますので、あまり長居は無用なようです。
しかし、この辺りからは写真12のような眺めで、穀倉地帯が一望のもとにあります。すぐわきを、常磐自動車道とつくばエクスプレスが通っています。