筑土神社と兜神社(東京都千代田区&中央区)

本欄は、「常総」と唱えていますが、都合によっては他の地方に行くこともあります。これまでの最遠地は山梨県甲斐の国でした。

と言う事で、今回は再度東京都武蔵野国を訪ねてみます。こちらは、過去に二度訪ねています。神田明神将門の首塚です。

東京は意外に坂が多くあることは有名(一説によると名前の付いた坂だけで650以上あるとのこと)ですが、九段坂もまたその一つです。

九段坂 九段坂表示

写真1 九段坂

写真2 九段坂表示

写真1は、坂の途中地下鉄東西線九段下駅1番出口付近から眺めた様子です。写真2は案内標識で、側面には以下のように書かれています。

【この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。「新撰東京名所図会」には、”九段坂は富士見町の通りより、飯田町に下る長坂をいう。むかし、御用屋敷の長屋九段に立し故、これを九段長屋といいしより此坂をば九段坂といいしなり。今は斜めに平かなる坂となれるも、もとは石を以て横に階をなすこと九層にして且つ急峻なりし故車馬は通すことなかりし”とかかれています。坂上は観月の名所としても名高く、一月、七月二十六日、夜待ちといって月の出を待つ風習があったといいます。】

さて、地下鉄東西線九段下駅1番出口を上って地上に出、ぐるりと見回すと、エレベーター塔の先に神社らしきものの屋根が見えます(写真3)。

<地下鉄東西線九段下駅1番出口 小公園

写真3 地下鉄東西線九段下駅1番出口

写真4 小公園

ビルの間を抜けられそうなので、伝っていくと写真4のように何やら小公園になります。実はここは写真5のような「四季彩の庭」と呼ばれる遊歩道です。そして、通り抜けると写真6の筑土神社(つくどじんじゃ)裏手に出ます。

四季彩の庭 筑土神社

写真5 四季彩の庭

写真6 筑土神社

ぐるっと正面に回ると写真7のように、ビルの谷間に鳥居があり参道は建物の1階部分のような感じです。ここは写真8のように「中坂」に面しています。つまり筑土神社は坂と坂に挟まれているのです。神社のホームページには、九段坂からお参りできるようになったのは150年ぶりと書かれています。

筑土神社鳥居 中坂

写真7 筑土神社鳥居

写真8 中坂

ついでですから、「中坂」の標識に書いてある紹介も載せておきます。写真はありません。

【この坂を中坂といいます。『御府内沿革図書』によると元禄三年頃(一六九〇)までは武家地となっており坂はできていませんが、元禄十年(一六九七)の図以降になると中坂が記載され、元禄十四年(一七〇一)以降の図には世継稲荷神社も見ることができます。なお、『新撰東京名所図会』には「中阪は、九段阪の北方に在り。もと飯田阪といへり。飯田喜兵衛の居住せし地なるに因れり中阪と称するは、冬青阪と九段阪の中間に在るを以てなり。むかし神田祭の山車等は、皆此阪より登り来れるを例とせり。」とかかれています。】

さて、知る人ぞ知る、この筑土神社には平将門の首が入った首桶が、昭和20年空襲による火災で消滅するまで存在したのだそうです。先にあげた当神社のホームページにあります。

この神社には狛犬があり千代田区指定有形民俗文化財として指定されています。その千代田区教育委員会案内板に神社の沿革が紹介されていますから、その部分だけを引用します。

【社伝によれば筑土神社は、天慶三年(九四〇)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り、津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町(引用者注:案内板によれば「徳川家康関東入国のころより、中坂や九段坂の坂下一帯を飯田町と称していた」ということです。)に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和二年(一六一六)には牛込門外の築土山(現新宿区筑土八幡町二番地)に遷座して築土明神となり、途中明治七年(一八七四)には築土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし、昭和二十年(一九四五)空襲で社殿などを悉く焼失し、二九年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。】(強調は引用者)

このように、東京には多くの将門伝説が残されているため、歩くと言っても一筋縄ではいきません。今回は用事の途中でしたので、すぐ地下鉄東西線に戻り、今度は茅場町で下車しました。平成通りを北進してみます。

この辺りは、日本の金融の中心地ですが、そのまた中心が写真9の証券取引所です。すぐ隣を日本橋川が流れていて、鎧橋がかかっています。

東京証券取引所 鎧の渡し跡の説明板

写真9 東京証券取引所

写真10 鎧の渡し跡の説明板

写真10は、鎧橋のたもとにある説明板です。ちょうど写真中央に【また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。】とあります。

という事で、兜の方を探します。写真9の右端の道を写真の奥に向かって歩きます。(大きな建物なので)しばらく行くと、首都高速江戸橋ジャンクションがあります。その1本の脚のところ(写真11)に神社があります。これが兜神社(かぶとじんじゃ)です(写真12)。

江戸橋ジャンクション 兜神社

写真11 江戸橋ジャンクション

写真12 兜神社

境内に入ると右手に小さな箱があり、中に【商業の神様「兜神社」の由来 兜神社世話人会】と書かれた薄いパンフレットがありましたので頂いてきました。これによれば、次のような事が判ります(抜粋)。

【沿革:弘化二年(一八四五年)版の「楓川鎧の渡古跡考」の地図に、牧野邸の東北隅鎧の渡付近に鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源とも言われている。)と兜塚が描かれており・・】(強調引用者)

また、境内に写真14のような岩がありますが、これについては次のようにあります。

【現在社前左にある兜岩の由来には、左記の諸説があるが、その裏付となるものは何も残っていない。
(一)、(二)省略
(三)俵藤太秀郷(=藤原秀郷)、平親王(平将門の尊称、天慶三年(九四〇年)二月十四日戦死)の首を打って兜に添えて是まで持来れるが、兜をば茲に埋めて塚となし兜山と云う。】(強調引用者)

兜神社社殿 兜岩

写真13 兜神社社殿

写真14 兜岩

というわけで、東京での伝説は、どうも将門が死んでからのことが多いようです。

ここから東京駅までは歩いてもさほど距離が無いので、今回は歩いてみました。写真15は江戸橋、写真16はその近くにある日本橋郵便局の壁に埋め込んである「郵便発祥の地」の標識です。

江戸橋 郵便発祥の地

写真15 江戸橋

写真16 郵便発祥の地

日本橋はあまりに有名ですから省略します。東京駅とその周辺も、随分変貌しました。

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